思想
共産主義 ・ 社会主義
マルクス・レーニン主義
スターリン主義
最高指導者
レーニン ・ スターリン
マレンコフ ・ フルシチョフ
ブレジネフ ・ アンドロポフ
チェルネンコ ・ ゴルバチョフ
組織
ボリシェビキ ・ メンシェビキ
ソビエト連邦共産党
チェーカー ・ ゲーペーウー
ソ連国家保安委員会
歴史
ロシア革命 ・ 大粛清 ・ 独ソ戦
冷戦 ・ 8月クーデター ・ ソ連崩壊
ソ連8月クーデター(それん8がつ―)は1991年8月19日に、モスクワで発生したクーデター。共和国の権限を拡大しようとしたミハイル・ゴルバチョフに対し、ゲンナジー・ヤナーエフら守旧派が起こしたが、最終的に失敗に終わり、逆にソ連崩壊をもたらした。現在のロシア連邦成立につながったため、1917年にロシア帝国で起きた二月革命(三月革命)、十月革命(十一月革命)と対比して、ロシア8月革命と呼ぶこともある。別名「8月政変」「8.19クーデター」「8月19日の政変」。
目次
1 背景
2 経緯
2.1 クーデター前夜
2.2 8月19日
2.3 海外の反応
2.4 国家非常事態委員会の狼狽
2.5 クーデター失敗と共産党の失墜
2.6 ソ連共産党解体
3 余波
4 関連項目
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ゴルバチョフの3代前の書記長・レオニード・ブレジネフの政策は1970年代後半以降徐々に破綻をきたし、中ソ関係や米ソ関係のさらなる悪化を招いた。特に米ソ関係は1979年のアフガニスタンへの軍事介入で完全に破綻した。ゴルバチョフ(左)とアメリカのロナルド・レーガン大統領
こうした状況の中で1982年にブレジネフが死去。その後任となったユーリ・アンドロポフは1984年に死去。さらにコンスタンティン・チェルネンコに政権はゆだねられたが病弱で翌年の1985年に死去。こうした中でゴルバチョフが書記長となった。ペレストロイカとグラスノスチは成功したものの、経済政策は守旧派との対立で次第に行き詰まっていった。
こうした中でボリス・エリツィンが台頭するがゴルバチョフが守旧派に妥協していくことに反発したエリツィンは1987年にモスクワ市党第1書記を辞任。守旧派と改革派の対立の土台は1988年のゴルバチョフによる過去の政治批判によりできあがっていた。
翌年の1989年には改革派からはみ出した民主綱領派が結成。これに刺激されるかのように1990年の2月に守旧派が政策集団「ソユーズ」を結成。7月の党大会でゴルバチョフが書記長に再選されるが、エリツィンがゴルバチョフの書記長続投に反発し離党。1991年の1月にソ連軍がバルト三国に軍事介入し13人の死者が出た。