スリ
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この項目では犯罪行為のスリについて記述しています。その他のスリについてはすりをご覧ください。

スリ(掏摸)は、他人の懐などから金品などを気づかれずにかすめとる行為。または、それを行う人のこと(掏児、読みは同じ)。別称として巾着切り、チボ(京阪神地方)などがある。

縁日などの人混みを利用した代表的な犯罪で、指先の器用さが必要とされる。

新米のスリは物を取ったらすぐに駆け出すことから「駆け出し」という言葉が生まれた。

なお、奇術師が、ショーとして合意の上で観客からスリ行為を行うピックポケットショーというものがある。

犯罪としてのスリは刑法上、窃盗罪であり刑事罰の対象となる行為である。一般的にスリというのはターゲットが特定されず、上級技術を有するスリ師や集団スリなどは誰でも標的にしてすることが多い。特に観光客や繁華街の買い物客が狙われているが、今や観光客は都内中、国中におり、繁華街も多いことから被害者となる一般人が多く、また電車内でのスリも横行しており多数の一般市民が犠牲になっていることから社会問題化している。この点では一部の者(コンビニ・商店経営者)しか被害にあわない万引きと異なるので、スリ対策は社会的にも多くの市民に強く叫ばれている。

日本では、電車内で刃物や防犯スプレーを振り回して逃走する韓国人グループによる武装スリ集団が社会問題化となっている。

「言継卿記」文禄3年8月24日の条に、石川五右衛門について、「正午天晴、盗人スリ十人また一人者釜にて煮らる」とあるから、盗人とスリとは区別されていたという。慶長2年3月の記事に「一、辻切すり盗賊之儀に付、諸奉公人侍は五人侍下人は十人組に連判を続、右悪逆不可仕旨請定可申事」とあることもそれを証するという。当時のスリは無頼の徒は道行くひとにすりよって悪事をなし、携帯品をかすめ取るので、スリと呼ばれ、下緒ヌキと並び称され、貞享、元禄頃、巾着切りの名前になって巧妙化した。元禄、宝永頃に名人坊主小兵衛が現われたが、これは同心目付役加賀山権兵衛の寵愛を受けた。このころからスリと同心の因縁が生じたという。当時の手口は袂さがし、腰銭はずし、巾着切りが主で、敲きの上門前払いに処罰されたが、巾着切りの横行の流行にかんがみ、永享4年2月、御定書に「一、巾着切、一、腰銭袂銭を抜取候者、右何れも可為入墨之刑事。但入墨之者悪事不相止召捕候はば死罪」と達せられ、突き当たりの手口で荒稼ぎする者を入れ墨、重敲すべきを見合わせて死罪にする判例が生じた。その手口はますます巧妙化し、荒稼ぎ、山越し、達磨外し、から、天保頃から、違(ちがい。すれ違いざまにおこなう)、飛(かっさらい)、どす(おどしとり)へと変わり、白昼の追いはぎも現われ、スリは並抜きをして、同類と共同で稼ぐものもあったので、遂に天保の大検挙が行われ、万吉、虎、勇九郎、遠州屋のような有名なスリの入牢があった。しかしその後もスリの跳梁跋扈はやまず、天保の大検挙で入牢した親分たちが出牢するにおよんでますますさかんになり、慶応元年、浅草年の市には勇九郎の流れをくむ秀奴のてあいが手当たり次第にすりとった紙入れは炭俵1ぱい分あって、石を付けて大川に放り込んだという。当時スリは髷を元結い1本で結ぶのが掟で、そうでないのはしろうとスリとしてスリ仲間の制裁を受けた。天保頃は江戸に黒元結連という組があって、元結いを黒にして、一目でその所属がわかるようにしていたという。明治以前はスリは町人全盛の大坂に多く、技量の点でも上方がスリの本場であったが、明治維新となり、東京に人口が集中し、スリの恐れた武士の帯刀が禁じられ、富豪が増え、上方から東京に所がえするものがおおくなり、明治20年頃、秀奴の子分の地蔵の栄のまた子分の巾着屋の豊が東京市中のスリを統一し組織し、京阪のスリは非常に多く東京に集まった。巾着屋の豊の全盛期は明治27、28年頃で、そのあとをついだのが明治の大親分湯島の吉で、巾着屋の豊に次ぐ親分で、清水の熊というスリの名人の流れをくんだ仕立屋銀次も日清戦争頃に台頭したきた。当時スリの大立て者として東京にあったのは、湯島の吉と仕立屋銀次と、深川で大徳、びっこの治三公、おいらんの定こと荒井定吉、中折れの文太こと原田文太などに養成された鼈甲勝こと渡辺勝次郎の、3大親分が鼎立する情況であった。すりに苦慮した警視庁は明治27年番町招魂社裏の青木善吉の門構えの邸宅に「ドサ」をいれた(踏み込み、本人を引致するとともに証拠物件の検査をする)のがスリにドサをいれた最初で、小親分らに手入れしたことで小親分らが衰退し、ついには3大親分の鼎立とはなった。これに、その後上方から上京して一団をなした新宿組のスリのてあいはその勢力が非常に強く、その関係が錯綜し、どれほど跳梁しようと手の下しようが無く、現行犯で逮捕しても仕立屋銀次が口を出すとたちまち釈放されるばかりか、一部からはスリは犯罪捜査の補助的機関であるとさえ考えられた。このような弊害を抜本的に改善しようと考えた当時の赤阪警察署長本堂警視は、偶然、スリ被害事件で召喚した仕立屋銀次が召喚に応じないことに憤慨し、その検挙を命じた(明治42年6月18日)。これを機に警視庁でも武東刑事課長、島谷掏摸主任その他も湯島の吉、鼈甲勝その他に内偵を進め、11月5日、彼らと彼らの通屋(づや。盗賍品取引者)を一斉検挙し、かくて東京で親分株として子分を集めていたものを掃蕩し、従来の刑事とスリとの関係を断絶し、取締を厳ならしめ、そのためにその後は掏摸仲間に統一、連絡は無くなり、被害件数は激減した。


日本語への影響

こうしたネガティブなイメージから、日本では「する」という言葉を別の言葉に置き換える風習(忌み言葉)がある。アタリメ(スルメ)やあたり鉢(すり鉢)、墨をあたる(墨をする)など。


参考文献

尾佐竹 猛 『賭博と掏摸の研究』 新泉社 ISBN 4787799053


関連項目

窃盗

武装すり団

戦線スパイクヒルズ
カテゴリ: 窃盗 | 職業

更新日時:2008年7月17日(木)06:19
取得日時:2008/07/26 17:51


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki