サー・ジョゼフ・バンクス(Sir Joseph Banks, 1st Baronet, PRS(1743年2月13日 ? 1820年6月19日)は、イギリスの博物学者、植物学者、準男爵、王立協会会長、科学の擁護者としても知られた。ジェームズ・クックの第一回航海(1768 - 1771年)に同行し、南太平洋地域に関する多くの博物学的知見を西欧にもたらす。航海で収集された膨大な新種のうち、75種の命名にバンクスの名が遺る。ユーカリ、アカシア、ミモザを西欧にはじめて紹介した。植物属バンクシアも、彼の名に因んでいる。
目次
1 生涯
1.1 生い立ち
1.2 ニューファンドランド・ラブラドール州調査旅行
1.3 エンデバー号の航海
1.4 科学の擁護者としての活躍
2 地名
3 参考文献
4 外部リンク
5 関連リンク
//
1743年2月2日、庶民院議員で大地主のウィリアム・バンクスと、妻サラ(ウィリアム・ベイツの娘)の長男としてロンドンに生まれた。ハーロー校に入学し、イートン・カレッジに転校したが、17歳で天然痘の療養をきっかけに退学した。当時の友人に、サンドウィッチ伯やコンスタンチン・ジョン・フィップスがいた。1760年、オックスフォードのクライスト・チャーチの特別自費生となったが、講義にほとんど出席せず、博物学の勉強に精を出した。1761年に父ウィリアムが死去、3年後、21歳で巨額の遺産を相続した。1763年12月、チェルシーに転居するが、1794年に学位を取らぬまま退学するまでオックスフォードに在籍していた。1764年、オックスフォードには開講していなかった植物学の講義を受けることを決意し、ケンブリッジの植物学者、イズラエル・ライオンズに私費を提供して個人講義を授かった。
チェルシーの自宅にあっても、バンクスは科学への関心を切らさず、チェルシー・フィジック・ガーデンや大英博物館に足しげく出入りし、ダニエル・ソランダーをはじめとする、多くの科学者と交誼を結び、ソランダーを通してカール・フォン・リンネの知遇を得た。
1766年、王立協会の会員に推挙された。同年、学友のフィップスをともなって、自然史科学調査のために、ニューファンドランド・ラブラドール州へ向けて船出した。同地で収集した動植物について、リンネの分類体系にしたがって記載した論文を出版した。
その後すぐに、バンクスは、王立協会と王立海軍が計画した、エンデバー号による南太平洋探検航海に参加した。この事業の主要な推進者であった海軍大臣サンドウィッチ伯の幼なじみでもあったバンクスは、私費で1万ポンドを拠出した。これは、ジェームズ・クックによる太平洋探検の第一回航海である。エンデバー号は、マデイラ諸島を経由して、まずブラジルに向かった。バンクスは同地でブーゲンビリアの最初の科学的記載を行なった他(名前はクックの同時代の好敵手フランス人探検家のブーガンヴィルに因む)、多くの南米の植物を採集した。
続いてタヒチとニュージーランドを経由してオーストラリア東岸に到達し、一行はヨーロッパ人として最初にオーストラリアに上陸を果たし、イギリスによる領有を宣言した。