ジャンボ鶴田
プロフィール
リングネーム鶴田 友美
ジャンボ鶴田
本名鶴田 友美
ニックネーム若大将
怪物
完全無欠のエース
身長196cm
体重127kg(全盛時)
誕生日1951年3月25日
死亡日2000年5月13日(満49歳没)
出身地山梨県東山梨郡
所属全日本プロレス
スポーツ歴バスケットボール
レスリング
トレーナージャイアント馬場
ドリー・ファンク・ジュニア
テリー・ファンク
ルー・テーズ
デビュー1973年3月24日]
引退1999年3月6日
表・話・編・歴
ジャンボ鶴田(ジャンボつるた、1951年3月25日 - 2000年5月13日)は、山梨県東山梨郡牧丘町(現:山梨市)出身のプロレスラー・元桐蔭横浜大学・中央大学・慶應義塾大学講師、元・アメリカオレゴン州ポートランド州立大学教授。本名は鶴田 友美(つるた ともみ)。血液型O型。ニックネームは「若大将」のち「怪物」。座右の銘は師であるジャイアント馬場から継承した「人生はチャレンジだ、チャンスは掴め」。
三冠ヘビー級王座を統一した初代王者であり、第30代AWA世界ヘビー級王者(日本人としては初のタイトル奪取)。
目次
1 経歴
1.1 プロ入りまで
1.2 全日本プロレス入団
1.3 1970年代中盤(ライバル達との出世争い)
1.4 1980年代前半(世界の鶴田へ)
1.5 1980年代中盤(超獣コンビ・ジャパンプロレス勢との戦い)
1.6 1980年代後半以降(天龍同盟・超世代軍との闘い)
1.7 晩年
1.8 死後
2 人物・評価
3 主な得意技など
4 生涯
5 主なタイトル歴
6 入場テーマ
7 レコード発売
8 著作
9 関連著書
10 CM
11 関連項目
12 外部リンク
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広大なぶどう農園を営む家に生まれる。生まれた頃は体が小さく、女の子のようだからという理由で「友美」と名付けられた。中央大学法学部1年生の頃までは、バスケットボールの選手であった。だが、バスケットボールではプロ選手になれない事や、日本のバスケットボールの実力では、予選に勝ってオリンピックに出場することができないということで、バスケットボール部を退部。そして、選手層の薄いレスリングでのオリンピック出場を目指すことにした。しかし「一つのスポーツをやりとおすことのできない奴は何をやってもダメ」と言われ、大学のレスリング部に入部することができなかった。それでもあきらめず、自衛隊のレスリング道場で練習に励み、優れた才能で僅か一年半足らずのキャリアで1971年と1972年の全日本選手権でフリー・グレコローマン両種目とも2連覇、レスリング日本代表に選ばれ、グレコローマンスタイル100kg以上級で1972年のミュンヘンオリンピックに出場する。
1972年9月16日、鶴田の父の死で自分自身で人生に挑戦しようと思い、世間の人々のプロレスに対する偏見・評価などで葛藤したが、大学の監督・先輩・マスコミなどにアドバイスを受け、最後は日本レスリング界のドン八田一朗の「プロが栄えればアマも栄える。