ジャイナ教(ジャイナきょう、(sanskrit) jaina, ???)とは、仏教の開祖釈迦とほぼ同時代のマハーヴィーラ(ヴァルダマーナ、前6世紀-前5世紀)を祖師と仰ぎ、特にアヒンサー(不殺生)の誓戒を厳守するなどその徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教。ジナ教とも呼ばれる。
仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったが、その国内に深く根を下ろして、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け、今日もなおわずかだが無視できない信徒数を保っている。
目次
1 起源
2 教義
2.1 相対主義と断定の回避
2.2 「三宝」の重視と五誓戒
3 白衣派と裸行派
4 ジャイナ教の現況
5 ジャイナ聖典およびジャイナ教文献
6 関連項目
7 外部リンク
//
「マハーヴィーラ」(mahaaviira)は、本名「ヴァルダマーナ」(vardhamaana、栄える者)。仏典ではニガンタ・ナータプッタ(nigaNTha naataputta, ?????? ????????)の名で釈迦在世時代の代表的な自由思想家たち(六師外道)の一人である。彼は「ナータ族の出身者」で、古くからの宗教上の一派ニガンタ(束縛を離れた者)派で修行したのでそう呼ばれた。彼はニガンタ派の教義から「ジャイナ教」を確立し、以来「マハーヴィーラ」(偉大な勇者)の尊称で広く知られた。
「ヴァルダマーナ」はマガダ(現ビハール州)のバイシャーリー市近郊のクンダ村に、クシャトリア(王族)出身として生まれた。父親の名はシッダールタ、母親はトゥリシャラ。30歳で出家してニガンタ派の行者となり、12年の苦行ののち真理を悟って「ジナ」(Jina、勝利者)となった。ジャイナ教とは「ジナの教え」の意味。以後30年間遊行しながら教えを説き広め、信者を獲得し、72歳でパータリプトラ(現パトナ)市近郊で生涯を閉じた。
ヴァルダマーナは当時の自由思想家の一人として、バラモン教の供犠や祭祀を批判し、あわせてヴェーダの権威を否定して、合理主義的な立場から独自の教理・学説をうち立てた。サンジャヤ・ベーラッティプッタや釈迦と同様、彼は言語による真理表現の可能性を深く模索した。ヴァルダマーナは、真理は多様に言い表せると説き、一方的判断を避けて「相対的に考察」することを教えた。これがジャイナ教の「相対主義」(アネーカーンタ・ヴァーダ、anekaanta-vaada)である。
具体的な表現法としては、「これである」「これではない」という断定的表現をさけ、常に「ある点からすると(スヤート、syaat)」という限定を付すべきだとする、「スヤード・ヴァーダ理論」(syaad-vaada)を説いた。これによりジャイナ教徒を「スヤード・ヴァーディン」(syaad-vaadin)ともいう。ジャイナ教は、相対主義を思想的支柱とし、後世「ヴェーダーンタ学派」の不二一元論や「サーンキヤ学派」の二元論、また「仏教」の無我論などと対抗して、インド思想史上、重要な位置を占めた。
ジャイナ教では宗教生活の基本的心得を、「三つの宝」(トリ・ラトナ、tri-ratna)と称して重んじる。(1)正しい信仰、(2)正しい知識、(3)正しい行い、である。解脱を目的として行われる宗教生活上で重要なのは(3)の正しい行い、つまり戒律に従って正しい実践生活を送ることである。
修行生活に関する規定は多くあるが、基本は出家者のための五つの大誓戒(マハーヴラタ、mahaavrata)、(1)生きものを傷つけないこと(アヒンサー)、(2)虚偽のことばを口にしないこと、(3)他人のものを取らないこと、(4)性的行為をいっさい行わないこと、(5)何ものも所有しないこと(無所有)である。在家者は同項目の五つの小誓戒(アヌヴラタ、aNuvrata)を守る。他宗教と比べて特徴的なのは(5)の無所有(アパリグラハ、aparigraha)であり、とくに裸行派の伝統に強く生きている。
(1)の誓戒、アヒンサーの厳守はもっとも重要である。ジャイナ教はあらゆるものに生命を見いだし、動物・植物はもちろんのこと、地・水・火・風・大気にまで霊魂(ジーヴァ)の存在を認めた。したがってアヒンサーの誓戒のために、あらゆる機会に細心の注意を払う。宗派によっては空気中の小さな生物も殺さぬように白い小さな布きれで口をおおう。
また「出家者は路上の生物を踏まぬようにほうきを手にする」という説明が各所に見られるが、実際には道を掃きながら歩くわけではなく、座る前にその場を払うための道具である。とはいえ、これはアヒンサーの徹底ぶりを象徴している。食生活はジャイナ教の生物の分類学上、できる限り下等なものを摂取すべきであり、球根類、はちみつなども厳格なジャイナ教徒は口にしない。
アヒンサーを守るための最良の方法は「断食」であり、もっとも理想的な死はサッレーカナー(sallekhanaa)、「断食を続行して死にいたる」ことである。マハーヴィーラも断食の末に死んだとされ、古来、段階的な修行を終えたジャイナ出家者・信者のみがこの「断食死」を許された。
だがジャイナ教徒にとってのアヒンサー(不殺生)は、身体的行為のみならず、言語的行為、心理的行為の3つを合わせたものとして理解されなければならない。人を傷つけることばを発することや、人には気づかれなくとも心の中で他者を傷つけるようなことを思うことさえも、ジャイナ教徒は「殺生」と考えるのである。これこそが、アヒンサーの厳しさである。
また、例えば動物に襲われたときにも、自衛のために動物を傷付けてはいけない。つまり、アヒンサーを忠実に守るためには、死をも覚悟しなければならない。これは、現世の身体は不浄のものであるから肉体に執着してはならないという考えに裏打ちされている。
マハーヴィーラ在世時、マガダのセーニヤ(seNiya、仏典中に見られるビンビサーラ)王やその王子クーニヤ(K^u.niya、アジャータシャトル)などの帰依・保護を受けて、すでに強固な教団を形成していたと思われるが、彼の没後はその高弟(ガナ・ダラ、gaNadhara。「教団の統率者」)たちのなかで生き残ったスダルマン(sudharman、初代教団長)などにより順次受け継がれ、マウリヤ朝時代にはチャンドラグプタ王や宰相カウティリヤなどの庇護を得て教団はいっそうの拡大をみた。それ以降のジャイナ教教団史をみる上では、白衣(びゃくえ)派(シュヴーターンバラ、svetambara)と裸行派(or空衣派:くうえは、ディガンバラ、digambara)が分裂しながらも存続している。
両派の分裂は1世紀ころに起こったと伝えられる。相違点は、白衣派が僧尼の着衣を認めるのに対し、裸行派はそれを無所有の教えに反するとして、裸行の遵守を説く。また裸行派は裸行のできない女性の解脱を認めない。また白衣派は行乞に際して鉢の携帯を認めるが、裸行派ではこれも認めない。
概して、白衣派は寛容主義に立つ進歩的なグループ、裸行派は厳格主義に徹する保守的なグループであると言える。ただし両派の相違は実践上の問題が主で、教理上の大きな隔たりはみられない。