この項目ではヨーロッパにおける日本の古名について説明しています。
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1492年に描かれたマルティン・ベハイムの世界地図とジパング Cipangu
ジパング(Zipangu)は、ヨーロッパにおいて、日本だといわれる島の古名。
目次
1 語源
2 マルコ・ポーロの伝えたジパング
2.1 モンゴル帝国時代の「ジパング」
3 異説
4 参考文献
5 ジパングが登場する作品
6 脚注
7 関連項目
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語源については、「日本国」を中世中国語で発音した音(ピンインの場合 /r?-b?n-gu?/ となり「リーベングォ」と発音)[1]が語源とされ、ヨーロッパにはマルコ・ポーロがCipangu(あるいChipangu)として最初に紹介したと言われる。なお10世紀頃から地理学者イブン・フルダーズ=ビフ Ibn Khurd?dh-Bih などをはじめアラビア語・ペルシア語の地理書において、後のジパングにあたると思われる金山を有する島(国)、ワークワーク( ???????? al-W?qw?q, 倭国?)について都度都度言及されている。
現代の多くの言語で日本を意味するJapan/Japon/Giappone/Yaponiyaなどの言葉は、一般にジパングが語源とされるが、ポルトガルが到達した16世紀頃の東南アジアで日本のことを中国語からの借用語でJapangと呼んでいたことに由来するという説など、異説もある。
日本ではマルコ・ポーロが紹介した事実が非常によく知られており、日本の一種の別名としてとらえられている。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』は、以下のように伝えている。
ジパングは、カタイ(中国大陸)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国である。莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れている。人々は偶像崇拝者で外見がよく、礼儀正しいが、人肉を食べる習慣がある。
モンゴルのクビライがジパングを征服するため軍を送ったが、暴風で船団が壊滅した。生き残り、島に取り残された兵士たちは、ジパングの兵士たちが留守にした隙にジパングの都を占領して抵抗したが、この国で暮らすことを認める条件で和睦して、ジパングに住み着いたという話である。
モンゴル帝国時代、大元朝時代の「日本観」についてであるが、大元朝後期に中書右丞相トクトらによって編纂された『宋史』「日本伝」では、「年代紀に記するところ」として天御中主尊から天照大神尊などの二十三世、神武天皇から冷泉天皇、(宋代初期の)当代の守平天皇(円融天皇)までの約六十四代を列記し、「その地は、東西南北がおのおの数千里あり、西南は海に至り、東北隅は大山をもって隔てられている。山の外は毛人(蝦夷、アイヌなど)の国である」「国中に五経の書及び仏経、白居易集七十巻があり、皆中国から得たものである。」「(土地は)五穀に宜しく、麦は少ない。」「絲蠶(蚕)を産し、多く絹を織るが(その布地は)緻密で愛すべきものである」「四時(春夏秋冬)の寒暑は」と記し、「東の奥洲」で黄金を産出し、対馬のことと思われる「西の別島で白銀を産出する」など、日本の地理などの情報は全体的にほぼ正確に伝えているが、「犀、象が多い」など事実と異なった記述も一部ある。
また、『集史』「クビライ・カアン紀」によると、東南方、「環海中、女直と高麗( ????? ? ???? J?rja wa K?l?)地方沿岸近くに大島があり、それはジマングー( ????? Jimang??)という名前である。(女直や高麗の地域から)400ファルサング(約2,000km)離れている」とあり、女直、高麗などから東南海上の彼方に大元朝に敵対する地域として「日本国」の音写とおぼしき「?????j-m-n-k-w」と呼ばれる大島についての記述がある[2]。
異説地理学者イドリースィーの1154年製作の世界地図。上が南方向となっており、南方全体から東方にかけてをアフリカ大陸が覆う。地図の左端、アフリカ大陸東端に金泥で描かれた山があり、「ワークワーク」( ????? ??? al-W?q-W?q)と書かれている。
上記のごとく、マルコ・ポーロのジパングが日本のことを指すという見方が現在一般的であるが、異説もある[3]。