ジッダ
????, Jiddah
国サウジアラビア
州マッカ州
人口
- 都市部380万人
等時帯EAT (UTC+3:00)
ジッダ(????, jiddah)はサウジアラビア西部のマッカ州(メッカ州)にある紅海に臨む都市で、首都リヤドに次ぐ大都市でもある。ジェッダ(Jeddah)とも呼ばれる。人口は340万人。都市圏全体では380万人になる。
もともと寂れた漁村だったが、イスラム教が興って近郊のマッカ(メッカ)が聖地になると、巡礼者の中継地点として栄えるようになった。現在では、ハッジ(大巡礼)の時期になると毎年200万人ものイスラム教徒が、ジッダを経由してマッカへ巡礼するため、ジッダ港(またはジッダ・イスラム港)や空港(キング・アブドゥルアズィーズ国際空港)は巡礼者を乗せた船や飛行機で一杯になる。また多くの国際機関や金融機関が本拠を置く経済都市でもあり、多様な民族が働いている。
日本の外務省の在外公館として総領事館が設置されており、首都リヤドにある在サウジアラビア大使館を除き、サウジアラビアにおける唯一の在外公館である。また、2006年9月6日より、大阪(関空)との間をサウジアラビア航空の定期直通航空便(マニラ、リヤド経由)が運航されたが、9月27日以降は運休している。(週1便だった為、3往復したのみ。)
目次
1 名の由来
2 市内地理
3 歴史
4 街の文化
5 ジッダの野外アート
6 ジッダに拠点を置く組織・企業
7 ジッダの高等教育機関
8 交通
9 姉妹都市
10 画像
11 外部リンク
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ジッダの名の由来には二通りの説明がある。一つは、紅海に面する重要な商業港であることから「海岸」を意味する名が付けられたというものである。もう一つのより一般的な説はアラビア語で「おばあさん」を意味する「jaddah」から転じたというものである。この説の背後には、ジッダに人類の祖であるイブの墓とされる墳墓があることがある。イブの墓かもしれない墳墓は、巡礼者たちの中にイスラムの伝統を破ってイブの墓にも拝礼する者がいたことが問題となり、1975年に政府の宗教当局によってコンクリートで覆われてしまった。
旧市街にはかつて伝統的な数階建ての住宅や商家が立ち並んでいたが、近代に入りオイルマネーによる大規模開発で取り壊され、高速道路や金融機関などの超高層ビルに姿を変えてしまった。しかし若い世代は伝統的なものを好む傾向があり、開発から残された古い建築物の多くは保存されている。
街周辺の海岸には名高いプライベート・ビーチやリゾートが数多くある。ドゥラ・アル・アルス(Durrat Al-Arus)、アル・レマル(Al Remal)、シャムス(Shums)、ベイト・アル・バハール(Bait Albahar)、サルヒーヤ(Salhia)などが、紅海のサンゴ礁や海の生き物を楽しめることで有名である。
ジッダはキング・アブドゥルアズィーズ国際空港が空の玄関だが、ここはサウジアラビア航空のハブ空港であると同時に、マッカの空の玄関でもある。ハッジの時期になるとこの空港を経由してやってくる200万人以上の巡礼者を円滑に移動させるため、屋外テント型の特別な「ハッジ・ターミナル」が使用される。また、ジッダ港にも多くの巡礼が到着する。ジッダ港は2004年の調査で世界で30番目に大きな港とされ、サウジ商業の鍵ともなっている。日本も含め、多くの国がジッダに領事館を置いている。
ジッダの場所には2,500年前から漁村があった。最初にこの地に脚光があたったのは647年、第3代正統カリフのウスマーン・イブン=アッファーンがジッダの漁港を、マッカへのハッジに向かう巡礼たちのための港として整備したことによる。ジッダは以後何世紀にも渡り、ヒジャーズ地方の主要都市として、ハッジのために海を越えてきた巡礼たちを迎える港として栄えてきた。
1925年、アラビア半島中央部のナジュド地方(リヤドを中心とする)の豪族であったサウード家出身のアブドゥルアズィーズ・イブン=サウードがヒジャーズに攻め込み、マッカ、マディーナ、ジッダなどを征服した。そして代々マッカのシャリーフ(太守)を務めたハーシム家出身で、当時ヒジャーズ王国国王でもあったフサイン・イブン・アリーを追放した。フサイン・イブン・アリーはキプロスに逃れその後アンマンに移り、その子孫は現在までヨルダンの国王となっている。