ジェームズ・スターレー(James Starley) (1830.4.21-1881.6.17)は英国の発明家。『自転車産業界の父』。英国アルボーンで生まれ、のちコベントリーに移る。コベントリーで、自転車および三輪車での先進的な貢献をおこなう。オーディナリー型で知られる前輪の大きなペニー・ファージング型自転車を発明する。息子のウィリアム・スターレーと甥のジョン・ケンプ・スターレーもまたこの分野での貢献を果たした。ケンプは、セーフティ自転車(安全型自転車)で現代の自転車の標準を作り、のちのローバー自動車につながる。
目次
1 起業以前
2 ペニー・ファージング型自転車のちのオーディナリー型
3 ディファレンシャルの発明
4 安全型自転車へのつながり
5 参考
6 関連
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10代には、 ⇒サセックス(当時)の親元を離れ、 ⇒ルイスハムに暮らしていた。産業革命が、農業暮らしから、機械相手の人生へと変えていく。当初、庭師をしていたが、まもなく時計修理や有用な器具類の考案で名を馳せる。ジェームズは20代はじめにジェーン・トッドと結婚している。
ジェームズの雇用主、ジョン・ペンが当時まだ珍しく高価だったミシン(ソーイング・マシン)を妻のために購入したが、すぐに壊れてしまった。ジェームズがいつもどおりこれを修理したが購入時よりも様々な点で改良が加えられていた。ペンの知り合いでこのミシン製造元と関係のあったジョシュア・ターナーがスターレーをロンドンの工場へ連れて行く。スターレーの才能は目覚しく、ターナーとスターレーは1861年頃、2人でコベントリーにミシンの会社を起業した。
ペニー・ファージング型自転車のちのオーディナリー型オーディナリー型自転車
1868年、ターナーの甥がフランス製の新型ボーンシェイカー(*1)を工場にもってきた。会社は自転車製造業に参入。当時、ベロシペード(自転車)はほぼ同サイズのタイヤだったが、前側が少し大きかった。スターレーはもっと前輪を大きくして、このすぐ後、ウィリアム・ヒルマン(*3)と共に有名なペニー・ファージング(penny-farthing)(*2)を作る。彼らの作ったアリエル自転車は全金属製、かつワイヤスポークホイールだった。1874年、タンジェント組したスポーク(タンジェントスポーキング)で特許を取得。スピードが出、デザインも洗練され、スポーツ好きの紳士の間で好評を博する。(*1 日本では当時「がたくり」と呼ばれた。*2 同様に「だるま車」。*3 のちヒルマン自動車を創業)
レバー駆動かつチェーン駆動の三輪車もめずらしい組み合わせではあるが、女性向け、2人乗り用として開発されている。三輪車の中でもスターレーのものは商業的に成功したものと評価されている。 ⇒[1]
さらに1877年には、(オープン)ディファレンシャルも発明している。三輪タンデム車で、年をとっていたジェームズが片側に、若者の息子がもう片側でペダルを踏むと舵とりに難があった、その等価でない入力を等しく伝えられるように作られたのがディファレンシャルであった。これは現在でも三輪車で使われることがあるうえ、自動車がそれを必要とした時、すでに用意されていたというわけだ。
スターレーの死後、スターレーの息子が彼の自転車製造を続けたが、甥のジョン・ケンプ・スターレーは、ここを離れ、新たにスターレー&サットンをはじめる。そこで現代につながる『ローバー安全型自転車(Rover Safety Bicycle)』を製造販売する。これは現代でも変わらない26インチホイールで、チェーン駆動、ダイヤモンド型の自転車フレームで1884年に製造を開始し、1885年に販売された。(シート・チューブはまだなかった。) この安全型自転車の構造は後に英国式ロードスターへとつながっていき、現在の自転車の基本形となっていく。
この安全型自転車に比べてペニー・ファージング型自転車は全く安全ではなく、ちょっとした道路の段差や穴などでバランスを崩し速度が出たままの状態で前に倒れ、頭を打つ事故が絶えなかったが、すでに自転車の基本形として当時の人々から認識はされていた。そのような経緯があって安全型自転車と対比するためにペニー・ファージング型自転車は『オーディナリー型自転車(直訳すれば『普通の自転車』)』と呼ばれている。現在はオーディナリー型として紹介されることが多く、特に日本ではオーディナリー型としか紹介されない場合がほとんどである。
ローバーは自転車(bike)を意味する言葉としてポーランドなどで用いられている。
この後、ローバー社は時代を先駆ける産業への進出をつづけ、エンジン駆動自転車、モーターサイクルを経て、ローバー自動車となった。ジョン・ケンプ・スタンレー自身は1888年頃、電気三輪自動車も試作したが、1904年、ジョンの死の2年後にガソリン駆動のローバー 8 h.p.として実現された。
参考
英語版Wikipedia
⇒自転車博物館サイクルセンター シマノによる運営
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