ジェントルマン (Gentleman) は地主貴族を核とするイギリスの名望家。16世紀から20世紀初頭にかけて事実上イギリスの支配階級であった。貴族とジェントリを中核とし、経済活動の活発化にともない興隆した中流階級を随時取り込む形でその境界を広めながら支配体制の温存を図った。その為、本来は不労所得者である地主貴族層、特に平民身分の最上層を指す言葉であるが、通常は英国国教会聖職者、高級官吏、将校、医者などの特定専門職従事者も含めて「ジェントルマン」と見做される。「高貴な」出自とともに身に付けた教養や徳性といった要素がジェントルマンの条件とされたため、「紳士的な」人物に対しての形容として用いられることもある。
目次
1 概説
2 ジェントルマン階級の形成
2.1 貴族とジェントリの統合
2.2 ジェントルマン的職業の受容と拡大
2.3 新興中流階級の包摂
3 教育による育成
4 金融サーヴィスへの移行
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
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gentleはラテン語の"gentils"に由来する。"gentils"はもともと「同じゲンス(氏族:Gens)に属する」という意味であるが、そこから転じて特に高貴な血筋や名門一族といった意味合いで使われる。つまり"gentleman"とは「高貴な人物」といった意味合いである。イギリス近代におけるエリートであると同時に尊敬を集める存在であり、独自のコミュニティを背景に政治や社会に大きな影響力をもった。このジェントルマン階級には上流階級である貴族、ジェントリ、および中流階級に分類される英国国教会聖職者、法廷弁護士、内科医、上級官吏、陸軍士官、海軍士官、大貿易商、銀行家などが含まれる。これらの共通点は自己の利益の為に労働しない、あるいは社会の為に奉仕すると考えられていた事である。また、ジェントルマンとして必要な下地はパブリックスクールからオックスブリッジに至る教育課程にて培われると考えられていた。その為、十分な経済力を持った人物であっても、産業資本家やネイボッブ(インド成金)はジェントルマンと認められなかった。
貴族とジェントリは両者とも16世紀前半には既にジェントルマンとして認識されており、上級と下級のジェントルマンという区分が為されていた[1]。テューダー朝以前のジェントリは貴族の私的な封建家臣団を形成する事が多く、貴族とジェントリの間には大きな格差が存在したが[2]、薔薇戦争による疲弊で貴族が勢力を大きく減じた事とテューダー朝期にジェントリ層が積極的に登用された事より、その差は確実に小さくなっていった。両者は生活スタイルや文化の点で近く、称号、貴族院議席以外に特権の差も存在しなかったため、通婚が進み、単一の地主貴族層を形成した。
本来、ジェントルマンは土地に立脚した不労所得者である。しかし、16世紀中頃には国教会聖職者、法律家、高級官僚、士官など一部の職業はジェントルマン的な職業と認められている。これらの職業は社会あるいは国王と王国に奉仕するものと考えられたとともに、領地を相続する事のできない、地主の次男・三男が生きるために就いた職業でもある[3]。またこれらの職は人脈や経済力、大学での教育などが職を得る際に必要であった為、ジェントルマンと富裕な市民以外は就くことが難しかった[4]。
イギリスにおける「貴族制」の最大の特徴は上層(貴族)への接近が閉ざされていたのに対し、領地を購入する事によって下層部(ジェントリ)となる途が開かれていた事にある。商業革命などの結果、経済活動が活発になり、中流階級の中から突出した富裕者が出るようになると、彼らは経済的な成功に加え社会的な名誉を欲する様になり、土地を購入する事でジェントルマンの仲間入りを果たそうとした。貿易商や銀行家などは本人は働かないというという点でジェントルマンに生活スタイルが近かった為、比較的容易にジェントルマンとして迎え入れられた[5]。その後、イギリス帝国の拡大とともに富裕な中流階級も増大するが、彼らも同様に領地購入、ジェントリ化という途を望む。他の西ヨーロッパ諸国で政治エリートとしての貴族が衰退していったが、勃興した中流階級上層部を体制内に取り込んだイギリスでは、ジェントルマンによる支配体制が20世紀まで温存される事となった[6]。
上層中流階級のジェントルマン化が進むにつれ、ジェントルマンと非ジェントルマンの境界条件も変化した。土地や不労所得者という要素は必要条件から、むしろある種の理想像といえる位置づけになり、ジェントルマンをジェントルマンたらしめる要素は教養と教育が決定的になる。ジェントルマンの美徳として教養を重視する立場は16世紀まで遡る事ができるが、これは15世紀末にイタリアから輸入された人文主義の影響もあり、ジェントリが武芸に秀で伝統的権威を持っていた貴族に対抗する上で教養が必要になった為である[7]。