ジェリー・ウェスト
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オリンピック
男子 バスケットボール
1960バスケットボール

ジェリー・アラン・ウェスト(Jerry Alan West, 1938年5月28日 - )はアメリカ合衆国バスケットボール選手で球団役員。選手時代にはNBAロサンゼルス・レイカーズでプレー。シュートの名手としてチームを牽引し、1度の優勝を経験。土壇場に強いことから「ミスター・クラッチ」のあだ名を持っていた。引退後には殿堂入りを果たした。のちに同チームのゼネラルマネージャーとなり、レイカーズの7度の優勝に貢献した。現在はメンフィス・グリズリーズで同様の役職に就いている。1960年ローマ五輪金メダリスト。ウェストバージニア州チェリアン生まれ。

NBAのロゴで赤と青を背景にドリブルをする白いシルエットは、ウェストをモデルにしたもの。
目次

1 少年期と学生時代

2 選手時代

2.1 キャリア概観

2.2 プレースタイルと業績


3 ゼネラルマネージャー職

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少年期と学生時代

ウェストは炭鉱で電気技師として働く父のもとに生まれた。慎ましい少年時代を送りながら、自宅の近隣などでバスケットボールの練習を重ねた。その熱心さのあまりビタミン剤の注射を受けたことがあった。

地元の高校に上がったウェストは学校のバスケットボールチームでレギュラーに選ばれたものの、長らく控え選手だった。最終学年の前までに身長が10センチ以上伸び、ウェストはチームの中心として活躍するようになった。ウェストは州の高校バスケットボール史上初めて900点以上を得点した選手になり、チームを州大会優勝に導いた。

60以上の大学から誘いを受けたウェストは、地元のウェストバージニア大学に進んだ。大学でチームの正式な選手としてプレーし始めた2年生の時には平均17.8得点11.1リバウンド、3年生時には26.6得点12.3リバウンド、4年生になると29.3得点16.5リバウンドをあげ、全国的に注目される選手になった。3年生の時にチームはNCAA男子バスケットボールトーナメント決勝に進出したが1点差で敗れた。準決勝以上で際立った活躍をしたウェストはこの年の大会で最優秀選手に選ばれた。

大学でのプレーを終えた1960年の夏、ウェストは米国男子バスケットボール代表メンバーとしてローマオリンピックに出場し、金メダルを獲得した。この時の代表チームにはオスカー・ロバートソンもいた。


選手時代


キャリア概観

1960年、ウェストはミネアポリス・レイカーズに1巡目2位で指名された。まもなくレイカーズはロサンゼルスに移転し、ロサンゼルス・レイカーズとなった。ウェストは入団から引退までこのチームでプレーした。

1年目のシーズン、ウェストは平均17.6得点、4.2アシスト、7.7リバウンドと優秀な成績を残した。レイカーズは36勝48敗と負け越したがプレーオフでは地区決勝まで進み、当時強豪だったセントルイス・ホークスに3勝4敗で敗退した。

翌シーズンのウェストは平均30.8得点(リーグ5位)、5.4アシスト(リーグ6位)、7.9リバウンドと活躍し、オールNBAファーストチームに初めて選出された。以降ウェストは引退するまでの間にこの賞を10回受賞することになる。

レイカーズはプレーオフを勝ち進みNBAファイナルに進出するが、ボストン・セルティックスに敗退。これ以降もレイカーズはファイナルでボストンと幾度も対戦し、その度に敗れることが繰り返され、チームの中心となっていたウェストは優勝には届かないスター選手として過ごしていった。

ウェスト個人の活躍は目覚ましく、1965年の平均31得点はリーグ2位、1970年の31.2得点はリーグ首位と高い水準の得点を記録し続け、チームも1962年1963年1965年1966年1968年1969年1970年にNBAファイナルに進出した。このうち1969年までは全てボストン・セルティックスに、1970年にはニューヨーク・ニックスに敗れ、優勝を逃した。1962年のファイナルは第7戦を3点差で、1966年には同じく第7戦を2点差で、1969年も第7戦を2点差で落とした接戦だった。

ウェストが1970年のNBAファイナル第3戦で放ったシュートはよく知られている。規定時間終了間際にウェストがコート中央から打ったシュートがブザーと同時に決まって同点、試合は延長に続くことになった。レイカーズは結局この試合を2点差で落とし、最終の第7戦にも敗れ優勝を逃した。

1971-72シーズン、既に30歳を過ぎており怪我も多かったウェストは引退も考えたが、このシーズンのレイカーズは歴史的な躍進を果たすことになった。今もリーグ記録である33連勝を含めてシーズン成績は69勝13敗で、これは現在史上2位の記録である。ウェストの平均9.7アシストはリーグ首位となった。NBAファイナルに進んだレイカーズはニューヨーク・ニックスを4勝1敗で破り、ウェストは優勝を経験した。

その後2シーズンを過ごしたウェストは、怪我で31試合の出場に留まった1973-74シーズンが終了すると引退した。


プレースタイルと業績

身長191センチのガードだったウェストは、その時代を代表するシュートの名手で、リリースの速いジャンプショットを得意としていた。また「ミスター・クラッチ」のニックネームが示すように勝負強さを持ち合わせた選手だった。1970年のファイナル第3戦のシュートの他に、1962年のファイナル第3戦で決めた試合終了と同時の逆転シュートも有名である。

しばしばアシスト数でもリーグ上位に顔を出した。キャリア終盤の1970年から4年間にわたりオールNBAディフェンシブファーストチームに選ばれ、ディフェンス面でも評価された。

ウェストは自分のプレーに満足することがあまりなく、今日で言うトリプルダブルを記録した試合でも「ディフェンスが悪かった」と感想を述べたことがあった。また負け試合に落ち込む様子もよく見られた。

1969年よりNBAファイナルでMVPが選ばれることになり、シリーズ平均37.9得点をあげたウェストがこの賞を受賞した。


不朽の名作から
ケータイ小説(笑)まで

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki