シュド・カラベル (SE 210 Caravelle)とはフランスのシュダヴィアシオン(1957年成立)の前身会社の一つであるSNCASEが開発製造した、西側初の中短距離路線向けジェット旅客機である。
斬新なリアエンジン形式と十字尾翼を先駆けて実用化し、多くの追従者を生んだだけでなく、ジェット旅客機として初めて商業的成功を収めた。1958年の就航後は世界各国で使いられ、中には21世紀まで運用された機体もあった。
目次
1 概要
2 開発の経緯
3 就航
4 派生型
5 日本におけるカラベル
6 関連項目
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開発費用と設計期間の軽減のため、国産に拘わらず実績あるイギリス製ターボジェットエンジンを敢えて採用し、機首と胴体、操縦系を含む運航システムの殆どは、就航済だった世界初のジェット旅客機デハビランド DH.106 コメットから丸々流用する、実利優先の大胆な手法が採られた。その一方で、尾翼付近の胴体後部に双発を配置する革新的な方式を初採用し、後代の旅客機に多大な技術思想的影響を与えたのみならず、膨大な特許料収入(同種の機体が多いソ連からも徴収した)は、同社に留まらずフランスの国家財政さえ潤したという。
独創的なハイマウント・リアエンジン形式には、一般的な主翼下パイロン吊り下げ方式に比べ、以下の利点がある。
主翼に障害物がなく、全幅に渡って高揚力装置が取付られ、離着陸性能が向上する(いわゆるプレーン・ウィング)
脚長が短縮でき、地上高が下げられ、機載タラップのみで短時間に乗降できる
未整地でもエンジンに異物を吸い込みにくく、逆噴射時や単発故障時のトリム変化が最少
高く十字型に配置された水平尾翼は、主翼から剥離した乱流の影響を受けにくく、高仰角での離着陸が可能になり、滑走路が短くて済む
これらの特徴は総て、当時広大な植民地を有していた、フランスの国情に叶うものであった。 下方視界の確保と機体強度の確保を両立した三角形(おむすびに例えられた)の客窓を持っていたのも特徴である。
1951年10月12日にフランス航空局民間資材調達委員会は、自国の航空機メーカーに中短距離用ジェット旅客機の仕様書を公開した。要求性能は、航続距離2000km、巡航速度600km/h前後、55?65人の乗客と1000kgの貨物を同時に運ぶというもので、このカテゴリーに該当するジェット旅客機は既に、1946年以降様々な基礎研究が各社独自に進められていたものの、占領中航空機開発を禁じられていた同国の航空業界は、構想するばかりで即座にそれを実用化する技術・体力が未だ備わっていなかった。
このコンテストに各社から計20もの応答があった。過渡的なターボプロップよりもターボジェットが早期から有力視され、またエンジン数については自由だったために、双発から中には5発というプランまで存在した。ナショナリズム的にも、同国で戦後出発した国営航空原動機製作所(Societe nationale d'etude et de construction de moteurs d'aviation = SNECMA)が開発中だった「アター」( ⇒Atar)の3発案が推されたが、実績不足が懸念され、ロールス・ロイス「エイヴォン」( ⇒Avon)が満足すべき推力を発揮したことから、より簡潔なエイヴォンを双発装備する案で固められた。
1952年3月28日の委員会では、ユレル・デュボア航空機製造( ⇒Societe de construction des avions Hurel-Dubois) HD-45、シュドゥエスト(国営南西航空機製作所)( ⇒Societe nationale des constructions aeronautiques du sud-ouest = SNACASO) SO-60、シュデスト(国営南東航空機製作所)( ⇒Societe nationale des constructions aeronautiques du sud-est = SNACASE) X-210、以上3社の案から、エイヴォン双発リアマウント型の SNCASE X-210 計画が選定され、詳細設計開始が命じられた。そして2ヵ月後の正式認可を受けて、政府援助の下で開発着手した。
開発費用軽減と設計期間短縮を図るため、先に進空したコメットから流用できる技術は極力流用し、早くも1955年4月21日にロールアウト、5月27日には初飛行した。カラベルの開発中にコメットは連続墜落事故に見舞われるが、事故調査で得られた知見から、応力分散とフェイルセーフ思想が盛り込まれ、「おむすび」に例えられた、独特の角を丸めた三角形の客窓が生まれた。試作1号機にはカーゴドアがあり、最初から貨客混載が意識されていた。
試作機の成功を見て、翌1956年に先ずエールフランスから、次いでSASから受注したが、ジェット・パイロットの養成と共に実用化に当っては慎重が期され、就航は1958年5月にずれ込んだ。当初損益分岐点は200機に設定されていたが、全タイプ通算で279機を生産するヒット作になり、メーカーにとってもエアラインにとっても、世界で初めて明確に利益を出したジェット旅客機として評価されている。
World Airline Fleets News 2004年9月号に、ルワンダのギセニ空港へ進入中の 11R 型(登録記号3DKIK)が墜落したため、最後まで就航していたカラベルが失われた旨の短信が掲載された。しかし同誌2005年5月の「カラベル50歳」と銘打った特集記事では、コンゴ民主共和国の首都キンシャサ在の Waltair Aviation が、2機のカラベルを現用中と報じている。何れにしても初飛行から半世紀を経た21世紀まで、カラベルがアフリカの空を飛んでいた事は間違いないようである。
派生型JATユーゴスラビア航空のカラベル
Caravelle I
最初の生産型で、試作機から1.4 m ストレッチされた。エールフランス、SAS、エールアルジェ、ヴァリグ・ブラジル航空向けに20機製造。ヴァリグ機の内1機はシュド社にリースバックされ、エールベトナムに転用された。
Caravelle IA