シュチェチン (Szczecin)
位置
情報
県:西ポモージェ県
緯度:北緯 53°26'
経度:東経 14°34'
標高:
面積:301.3 km2
人口
- 合計
- 人口密度
約413,600 人
1372 人/km2
郵便番号:70-018 ? 71-871
市外局番:091
市長:(Piotr Krzystek)
公式サイト: ⇒市公式ウェブサイト
シュチェチン(Szczecin)はポーランドの都市で、西ポモージェ県の県都。ドイツ名はシュテッティン(Stettin)。ポーランド北西部にあり、ドイツとの国境沿いに位置する。バルト海に面し、ポーランドではグダニスクに次ぐ第2の規模の港湾都市で機械工業などが盛んである。歴史的にプロイセンの影響下にあった時代が長い。
目次
1 歴史
2 地理
3 経済
4 交通機関
5 観光
6 出身者
7 姉妹都市
8 関連項目
9 外部リンク
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鉄器時代、この一帯で栄えていたラウジッツ文化において建設されたと思われる要塞があったことから、この時代あたりから定住が始まっていたと見られる。ポモージェ人の要塞は8世紀にオドラ川の浅瀬近くに建設された。
ボレスワフ3世によって支配されキリスト教に改宗した頃には、すでにシュチェチンは1万人ほどの住民を抱え、商業の中心地として繁栄していた。1243年に自治権を与えられ、1630年頃までは、ポモージェ公が支配する地域の主都であった。ポモージェ公家が断絶したのち、シュチェチンは1720年までスウェーデンの支配下に置かれその後プロイセンに組みこまれ、1870年からはドイツの領土となった。
第二次世界大戦後はふたたびポーランド領となり、ドイツ系の住民が大量に追放された。旧シュチェチン県の県都となり、主要な産業拠点とするべく工業化がすすめられた。シュチェチン市街は第二次世界大戦におけるドイツ軍とソ連軍の戦闘でその65%が破壊されていた。特に歴史地区を含む市街中心部と港湾は100%破壊されていたが、戦後、残された資料をもとにポーランド市民の手によって正確に復元された。1970年と1980年には大規模な反社会主義暴動が起こり、のちに生まれる「連帯」の活動へ大きな影響を与えた。
1999年からは西ポモージェ県の県都となっている。
ポーランドの北西端、ドイツとの国境沿いにある。オドラ川の両岸に市街が広がっており、それぞれ左岸地区、右岸地区として栄えている。市の北にはシュチェチン湾があり、オドラ川はここを経てバルト海に注ぐ。市の東端にはドンビェ湖がある。 オドラ川付近は鳥獣保護区域に指定されている。
シュチェチンにはポーランド最大級の造船所があり、かつて破産したが今は立ち直っている。造船業のほかにも、機械工業、織物工業、鉄鋼製造などが盛んである。 2006年現在、シュチェチン市内にはハイパーマーケットのカールフールが3店、Realが2店、テスコ、Auchan、電化製品安売り店 MEDIA MARKTなどがビジネスを展開している。これらのマーケットではドイツが近いということもあって、同国より割安な生鮮食品や食品などを買いにくるドイツ人が目立つ。ポーランド通貨はズウォティであるが、これらのマーケットではユーロで会計を支払うことも出来る。しかし最近のズロチー高により、その数は下降傾向で逆にポーランド人がドイツに買い物にいくという逆転現象が起きてきている。
近年は人口増加によりシュチェチン市内の不動産価格が高騰したため、シュチェチン市民の多くは隣接するドイツのブランデンブルク州やメクレンブルク=フォアポンメルン州に家を買い、そこから毎日シュチェチン市内の職場や学校に通う生活スタイルを持つようになった。
国内線及びSASが就航するゴレニュフ(Goleniow)空港がある。ワルシャワ、ポズナン方面には特急(といっても日本の急行程度だが)のインターシティーが通っている。日本や西側ヨーロッパから直接来たい場合は、ベルリンのテーゲル空港からアウトバーンでおよそ170km(1時間半ほど)で来ることが出来る。
中世の建物が残り、街の中心はすべてが旧市街といったおもむきで、オドラ川左岸にはオペラ座、国立劇場、博物館、商船大学などが立ち並ぶ。近くにはアンティークショップ、画廊、土産物店などで買い物が楽しめる。
出身者
ヘルマン・グラスマン - 言語学者
オスカー・ハマースタイン - オスカー・ハマースタイン2世の祖父
カール・レーヴェ - 作曲家。移住した
エカテリーナ2世- 1729年にこの地の領主の娘ゾフィー・アウグスタ・フレデリーケとして生まれ、1744年にロシアへ行くまでの15年間を過ごした。