シャイバーニー朝
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シャイバーニー朝(1428年 - 1468年 - 一旦滅亡 - 1500年 - 1599年)は西トルキスタンに存在したモンゴル帝国の系譜を引く遊牧テュルクイスラム系国家。

1428年ウズベク族を率いたチンギス・ハーンの長子ジョチ末裔のシャイバーニー家(シバン家)が建国。1468年ティムールによって一旦滅ぼされるが、1500年、ムハンマド・シャイバーニー( ⇒en:Muhammad Shaybani)がティムール朝の衰退に伴い復興し、帝国の主要都市サマルカンドを攻略。そこを首都と定める。

しかしトルキスタン平定後も周辺の勢力やティムール朝の残党、北方のカザフ人の侵入に悩まされ続け、1510年にはムハンマド=シャイバーニーがサファヴィー朝ペルシアイスマーイール1世によって殺害された。その後、16世紀中に首都をサマルカンドからブハラに移しブハラ・ハン国と呼ばれるようになった。アブドゥッラ2世の時代に最盛期を迎えたがアブドゥッラ2世の死と彼の息子の暗殺後、ブハラの政権はアシュタルハーン朝となった(1599年)。

封建的地方支配を行っていたため諸侯の勢力が増大し、しばしばこれと戦った。

なお、ヒヴァ・ハン国(17世紀末まではウルゲンチ・ハン国)もアブルハイルの大叔父アラブ・シャーより分岐したシバン家の王朝であった(1804年にイナク朝に代わる)。また、シビル・ハン国もシバン家の王朝である(1598年まで)。


歴代のハン

諸子に領域を分封したため多くの王家を分出したが、以下には主家のハンを載せる.

アブルハイル(在位1429年 - 1468年) - ジュチの子シバンの7世の子孫ダウラ・シャイフの子。ウズベク・ハン国のハン

シェイフ・ハイダル(在位1468年) - アブルハイルの子

(この間中断)

ムハンマド・シャイバーニ(在位1500年 - 1510年) - アブルハイルの子シャー・ブダクの子

クチュクンジ(在位1510年 - 1531年) - アブルハイルの子

アブサイド(在位1531年 - 1534年) - クチュクンジの子

ウバイッドゥラ(在位1534年 - 1539年) - ムハンマド・シャイバーニの兄弟マフムードの子

アブドゥッラ1世(在位1539年 - 1540年) - クチュクンジの子

アブドゥル・ラティーフ(在位1540年 - 1552年) - クチュクンジの子

ナウルズ・アフマド(在位1552年 - 1556年) - アブルハイルの子セヴィンチ・ホージャの子

ピール・ムハンマド1世(在位1556年 - 1561年) - アブルハイルの子ホージャ・ムハンマドの子ジャニベクの子

イスカンダル(在位1561年 - 1583年) - ジャニベクの子

アブドゥッラ2世(在位1583年 - 1598年) - イスカンダルの子

アブドゥル・ムーミン(在位1598年) - アブドゥッラ2世の子

ピール・ムハンマド2世(在位1598年 - 1599年) - ジャニベクの子スライマーンの子
カテゴリ: 中央ユーラシア史 | テュルク

更新日時:2008年4月2日(水)07:31
取得日時:2008/07/30 21:23


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担当:Mamenoki