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落合 信彦(おちあい のぶひこ、1942年1月8日 - )は、東京都台東区浅草出身のジャーナリスト小説家東京都立両国高等学校オルブライト大学卒。テンプル大学大学院中退(国際政治学専攻)。

国際情勢や諜報関係の事情をレポートした作品や、それらを題材とした小説、海外作品の翻訳、また近年では若者向けの人生指南書を多数執筆している。
目次

1 経歴

2 著作の特徴

3 経歴における矛盾

4 盗作問題

5 著書

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

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経歴

以下、渡米から作家デビューまでは落合本人の著書による。

両国高校(定時制)卒業後、奨学金を得てアメリカのオルブライト大学に留学。(1961)

在学中に空手道場を主催。実兄である落合秀彦とともにアメリカにおける空手の普及に貢献。ブルース・リーと対戦して勝利、というエピソードも。(後にジークンドーの団体から事実無根であり名誉を毀損するものとして抗議を受ける)

ロバート・ケネディ(当時司法長官)と対面し、ジョン・F・ケネディ大統領とのアポイントメントを取り付ける。暗殺のわずか数ヶ月まえであった。(1963)

大学卒業後、テンプル大学大学院に進学。(1965)

著書によって記述が微妙に異なるが、友人の誘いにより大学院を中退(1966)、その友人の興した油田探鉱の会社で副社長として勤務する。一方で当時の上院議員ロバート・ケネディ大統領選挙スタッフとしても活動。

小規模会社でありながら、中東南米アフリカ等におけるジャイアンツ(巨大油田)の発見や石油メジャーと対等に渡り合ったビジネス交渉などで頭角を現し、「世界を股に駆けるオイルマン」として活躍。

ベトナム戦争で戦死した友人に代わり社長に就任。(1968、9年ごろ?)

ラジオから流れる日本の歌を聴いて望郷の念に駆られ、日本に帰国。(1971、2年ごろ?)

会社を売却する。オイルショックのわずか7ヶ月前であった。(1973)

文藝春秋』誌上にて発表された記事「ニクソン世代とマクガバン世代」でライターとしてデビュー。(1972)

週刊文春』誌上にて「二人の首領」を発表。(1977)(公式にはこちらがデビュー作ということになっている)

以後、主に国際情勢を題材にしたノンフィクションの記事、単行本、小説などを多数発表。

アサヒビールのCMキャラクターとして採用。一般層にも「国際ジャーナリスト」として認識される。(1987)

オルブライト大学名誉博士号取得(1997)

中華人民共和国山東省観光大使就任(2002)

2007年現在、インターネット上にて「勝ち組クラブ」主催、小学館SAPIO』及び青春出版社『BIG tomorrow』の二誌において記事を連載中。


著作の特徴

留学、起業、オイルマンとしての体験等からか、フィクションノンフィクション問わず世界を舞台にした話が多い。

各国の諜報機関に多数友人がおり、彼らからの情報をもとに世界情勢や国内問題を分析していると著書の中では述べている(これについては下記の盗作問題を参照)。そのため1980年代から1990年代前半には「国際ジャーナリスト」として学生ビジネスマンから絶大な人気を誇った。(後の様子は下記の盗作問題を参照)。

一方で「世界の裏側」にこだわりすぎてオカルト陰謀論になっている等、一般的な国際情勢の視点からかけ離れている作品もあり、批判もある。

1990年代後半辺りからは著作の方向性が国際情勢を題材にしたものから若者向けの自己啓発本へとシフトしている。

ストーリー中に日本人でも普段使うことのある英語スラングやちょっとした言い回しがよく出てくるのも特徴である。例えば「ブラフ」「ナイーヴ」「オファー」など(彼が使った当時は日本では和製英語として使われていなかったが、後に定着した言葉も多い)。

主にアメリカなど欧米諸国の例を挙げ、日本の現状との比較をすることによって日本の問題点を指摘する、という構成の作品も多いが、評価は分かれ、人種の知識に関して乏しい部分もある。そのため無理なこじつけで日本を貶めているだけ、とする意見がよく見受けられる。ただし、後述の盗作・経歴問題以降は、海外取材は中国などアジア方面とイスラエルがメインである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki