ザプルーダー・フィルム
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ウォーレン委員会が証拠として取り上げたザプルーダー・フィルムからの1コマ

ザプルーダー・フィルム (the Zapruder film) とは、1963年11月22日アメリカ合衆国テキサス州ダラスを訪問したジョン・F・ケネディ大統領の車列を、エイブラハム・ザプルーダーという婦人服メーカーの経営者がカラーで撮影した8 mmフィルムのことである。このフィルムは偶然にも、大統領の暗殺を最も明瞭に記録した映像となったことから一躍有名になった。アメリカ国立フィルム登録簿に登録されている。
目次

1 撮影の経緯

2 歴史

3 フィルムの信頼性

4 フィルムは暗殺の一部始終を捉えたものか

5 メディアに与えた影響

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

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撮影の経緯事件現場であるエルム通り(2006年6月)。ザプルーダーのいた白いパーゴラは写真中央右よりにある。その左がいわゆる「グラシー・ノール」。

暗殺事件発生日の午後12:30(中部標準時)、ダラスで婦人服メーカーを経営していたザプルーダーは、大統領の車列をエルム通り(暗殺発生現場)に面したコンクリート製のパーゴラの一番西側の端の上に立って撮影していた。姿勢を安定させるため、ザプルーダーの会社の受付係の女性が背後から彼を支えていた。フィルムは、大統領の車列がヒューストン通りから角を曲がってエルム通りに入るところから、鉄道の陸橋下に入って消えるまでの姿を捉えている。このフィルムの資料的価値を高めているのは、ケネディ大統領が頭部に致命的な銃撃を受けた瞬間を記録していることである。大統領が頭部に銃撃を受けた時、大統領の乗ったリムジンは丁度ザプルーダーの撮影場所のほぼ正面(ザプルーダーの視線からはやや下方)に位置しており、フィルムには銃撃を受けた瞬間の大統領の姿がはっきりと写っている。

ザプルーダーが撮影時使用していたのは、ベル&ハウエル社製414 PD式のカメラであった。後に連邦捜査局 (FBI) がこのカメラを調べたところ、フィルムの撮影速度は平均毎秒18.3コマであった。フィルムに大統領の車列の模様が撮影されているのは、全体で486コマ、26.6秒で、その内大統領の乗ったリムジンは343コマ、18.7秒間映っていた。フィルムはコダック社製の安全フィルム、Kodachrome II 8 であった(1コマ縦横8mm)。

ザプルーダー・フィルムはウォーレン委員会をはじめ、全ての暗殺事件捜査機関により調査された。ウォーレン委員会はこのフィルムの一部をモノクロ写真にして、証拠物件として取り上げた(ウォーレン委員会の証拠物件第18巻の885)[1]ほか、様々な雑誌、映画にフィルムの一部が使用された。インターネットでは下のサイトでフィルムの閲覧が可能である。

Zapruder Film of JFK Assassination - YouTube Flash Player が必要。

[2] QuickTimeが必要。ダウンロードするとフィルムの一部を自動で繰り返し再生する。再生速度は実際の映写速度より遅い。

[3] QuickTimeが必要。ブレの多いもとのフィルムの画像を加工、修正したもの6つと、それらを基により安定した画質で大統領のリムジンに焦点を合わせた画像1つを閲覧聴可能(研究用、ファイルサイズ大)

ザプルーダー・フィルムの全486コマの画像 特別なソフトなしで視聴可能だが動画形式ではなく静止画。

[4] 上と同じ静止画による全コマの画像。1つずつコマを進めて見るにはこちらの方が便利。

1994年にザプルーダー・フィルムは「文化的に重要である」として、アメリカ議会図書館によりアメリカ国立フィルム登録簿に登録され、永久に保存されることとなった。


歴史

11月22日の午後には、オリジナルのフィルムからコピーが3本作られた。ザプルーダー自身がオリジナルとコピー1本を保有し、残りのコピー2本が捜査のために シークレットサービスのダラス事務所に提出された。その後3日もたたない内に、『ライフ』誌がオリジナルのフィルムと、それに係る全ての権利を150,000ドル (2006年では916,000ドルの価値に相当)で購入した。購入代金は6年間の分割払いでザプルーダーに支払われたが、最初の1年分の支払い25,000ドルをザプルーダーは、 リー・ハーヴェイ・オズワルドに殺害されたダラス市警の警官J・D・ティピットの未亡人と子供たちに寄付した。

1963年11月29日、『ライフ』誌がザプルーダー・フィルムの中から約30コマを、モノクロ写真にして誌上で公開した。フィルムのコマをカラー写真にしたものは1963年12月7日発行の『ジョン・F・ケネディ追悼特集号』で公開され、その後も1964年10月2日 (ザプルーダー・フィルムとウォーレン委員会についての特集記事)、1966年11月25日、1967年11月24日と何度も掲載された。

1964年10月、ウォーレン委員会が調査結果をまとめ、26巻にも及ぶ証言、証拠物件の記録が合衆国政府印刷局から刊行された。その中の第18巻にはザプルーダー・フィルムの中から158コマがモノクロ写真として複写されたものが掲載された。しかし、208コマ目から211コマ目が欠損しており、207コマ目と212コマ目の間に再接合した痕跡が見られた。1967年初頭、『ライフ』誌はオリジナルのフィルムの内4コマが現像作業所での事故により誤って破棄され、その4コマの隣のコマもいくつか損傷したと声明を発表した。『ライフ』誌はその失われた部分を、ザプルーダーから譲り受けたオリジナルからの1世代目のコピーから写真にして公開した (155から157コマ目及び341コマ目。オリジナルでは 損傷していたが、1世代目のコピーには残っていた)。

1966年、『ライフ』誌の記者ジョサイア・トンプソン (Josiah Thompson) が『ダラスの6秒間』(Six Seconds in Dallas) という本を執筆し、『ライフ』誌に対し、ザプルーダー・フィルムの中から重要な部分の掲載許可を求めた。



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki