ザクセン君主一覧は、中世から近代にかけてドイツのザクセン公国およびザクセン王国の君主の一覧である。
目次
1 略史
2 君主一覧
2.1 ザクセン公
2.1.1 リウドルフ家
2.1.2 ビルンク家
2.1.3 ズップリンブルク家
2.1.4 ヴェルフェン家
2.1.5 アスカーニエン家
2.1.6 ヴェルフェン家
2.1.7 アスカーニエン家
2.2 ザクセン=ヴィッテンブルク公
2.2.1 アスカーニエン家
2.3 ザクセン選帝侯
2.3.1 アスカーニエン家
2.3.2 ヴェッティン家
2.3.2.1 エルンスト系(ザクセン選帝侯)
2.3.2.2 エルンスト系(ザクセン公)
2.3.2.3 アルブレヒト系(ザクセン公)
2.3.2.4 アルブレヒト系(ザクセン選帝侯)
2.4 ザクセン王
2.5 1918年以降のヴェッティン(ザクセン)家の当主
3 関連項目
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最初のザクセン公は、カール大帝がザクセンを征服した際に、降伏したザクセン人のリーダーであるウィドゥキントに授けたものだとされる。ウィドゥキントの子孫リウドルフが、その後続く家系の始祖となった。その版図と経済力を背景に、リウドルフ家はフランク王国内でも重きをなした。ハインリヒ1世は919年にドイツ王となり、ザクセン朝を開いた。続くオットー2世は、962年に神聖ローマ皇帝に即位し、数々の業績から大帝と称された。オットー2世はザクセンから離れることが多かったので、ヘルマン・ビルンクが留守の間の内政を預かっていた。オットー2世は、ヘルマンをザクセン辺境伯とし、その後さらにザクセン副公。ヘルマンの息子ベルンハルト1世の代に、正式にザクセン公として承認された。
1106年、ビルンク家最後の当主マグヌスが亡くなり、後継者が存在しなかったため、ズップリンブルク家のロタール1世がザクセン公となった。その後、ヴェルフェン家とアスカーニエン家が交互にザクセン公となった。1260年、アルブレヒト2世が亡くなると、ザクセンはザクセン=ヴィッテンブルクとザクセン=ラウエンブルクに分割され、ザクセン=ヴィッテンブルク家がザクセン公の位を継承した。
1356年、カール4世が金印勅書を発布し、ザクセン公は選帝侯の資格を得た。以降はザクセン選帝侯と呼ばれる。1422年、アスカーニエン家の最後の当主アルブレヒト4世が亡くなると、マイセンおよびチューリンゲンの辺境伯、ヴェッティン家のフリードリヒ1世がザクセン選帝侯の位を継承した。1464年にフリードリヒ2世が死亡すると、遺領は分割相続された。年長のエルンストが選帝侯となり、北マイセン、南チューリンゲン、ヴィッテンブルクを継承した。もう1人の息子アルブレヒトは南マイセン、北チューリンゲンを継承し、新たに公爵位も与えられた。ヴィッティン家はエルンスト系とアルブレヒト系に分かれたのである。1547年、ミュールベルクの戦いで勝利したカール5世は、自身に敵対したヨハン・フリードリヒ(エルンスト系)から選帝侯の資格を剥奪し、味方したモーリッツ(アルブレヒト系)に褒賞としてこれを与えた。以降、選帝侯の資格はアルブレヒト系が継承した。
1697年にはフリードリヒ・アウグスト1世がポーランド王に迎えられ、1763年まで同君連合となったが、波乱が絶えなかった。