サン・マイクロシステムズ(Sun Microsystems、NASDAQ: ⇒JAVA)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクララに本社を置くコンピュータの製造、ソフトウェア開発、ITサービスを営む企業である。日本法人のサン・マイクロシステムズ株式会社は東京都世田谷区用賀4丁目10-1SBSビルに所在する。
目次
1 概要
2 サンの過去と将来
2.1 UNIXでの一人勝ちの状況
2.2 90年代末の市場の変化とサンの対応
2.3 CPU開発競争での遅れ
2.4 エンタープライズ分野での足踏みとLinux対応
2.5 巻き返しと評価、そして今後
2.6 シンクライアントベンダとしてのサン
3 フリーソフトウェアとの関係
4 外部リンク
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概要最初の製品である Sun-1 ワークステーション
サンの名前は、Stanford University Networkの頭文字 SUN から来ており、スタンフォード大学で校内のネットワーク用のワークステーションを独自に開発したアンディ・ベクトルシャイムが、スコット・マクネリ、ビノッド・コースラらとともに会社を創立したのが始まり。創立に際してカルフォルニア大学バークレー校でBSD UNIXを開発していたビル・ジョイを創立メンバーに招いた。創立した1982年から数年で世界企業へと成長した。
当初ワークステーションのOSは、BSD UNIXを採用しSunOSと呼ばれていたが、後に当時UNIXを所有しUNIX System VをライセンスしていたAT&Tと共同して、BSD UNIXとSystem V を一部合流しSolarisとして販売を開始した。Solarisは、System Vとしての性格が強い。
CPUアーキテクチャとしては、当初 モトローラの68000系を使っていたが、後に自社独自のCPUアーキテクチャSPARCを開発した。SPARC は RISCアーキテクチャを採用している。
自社の技術を公開したりライセンスしたりする事が多く、オープンな戦略を特徴としている。SPARCのCPUアーキテクチャは外部にライセンスされている。Solaris単体での販売もしている。PC向けのSolarisもある。近年 Linux をその戦略の一部に取り込んだ。
Javaはビル・ジョイを中心としたチームにより開発された。
JXTAは、JavaのP2Pアーキテクチャである。一般のコンピュータに留まらずPDAや携帯電話での使用が当初から考えられている。
UNIX戦争に伴う各ベンダとの競合状態において、ビル・ジョイなどのUNIX神話に名を残したスーパーエンジニアの功績やいち早いインターネットに向けたサーバ群の取り組みによりアメリカ合衆国を中心とする世界市場において、1990年代前半、サンは一人勝ちの様相を示していた。
日本市場においても、通信系や企業基幹系に浸透しつつあったUNIX市場において、遥かに価格性能比が高く、知名度のあったサンは国産UNIXベンダのパークを次々と取り込んでいった。
結果、日本市場においてもサンはIBMを含むUNIX系ベンダの唯一の勝ち組企業となっていた。
90年代後半までの一人勝ちの状況以降、元々の企業規模がそれほど大きくなく、先進性で売り上げを上げるにも研究開発費の大規模な調達ができない点、 Javaなどの別技術への投資を集中した点などもあり、その後のUNIXによるエンタープライズ系への対応や処理速度改善において、幾つか決定的な遅れを取ってしまう。
インテル製CPUのクロックアップや開発資源への大規模な投資により高性能化したPCにUNIX陣営は追い込まれつつあった。特に、RISC陣営でもMIPSテクノロジーと同様に自社でのCPU製造を行わないサンは、急速な開発期間の短縮や新規テクノロジーの適用において、遅れを取り始める。
その結果、UltraSPARC IIが主力であった頃、IBMやHP、DECといったRISC陣営の競合CPUと比較して、UltraSPARC IIが著しく遅く、他社のメインストリームサーバとの比較による受注の大量減少をさけるため、業界標準ベンチマークとなっていたTCPベンチマーク値の公開を取りやめている。