サキャ派(チベット文字:??????)はチベット仏教4大宗派の1つ。時として赤帽をかぶることから、ニンマ派、カギュ派と共に西欧人に[1]赤帽派と呼ばれている宗派の1つでもある。
目次
1 歴史
1.1 サキャ派が出来るまで
1.2 白い3人と赤い2人
1.3 サキャ派とモンゴルとの同盟
1.4 フビライの即位とサキャ派時代
1.5 分派
1.6 リメ運動
1.7 中華人民共和国建国後
1.8 今日のサキャ派
2 教義
3 サキャ派様式
4 関連項目
5 出典、注釈
6 参考文献
7 外部リンク
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サキャ派は中央チベットのツァンに栄えたクン族(コンとも書かれる)による宗派である。クン氏の伝承によると、クン氏の祖先は神の子であった。吐蕃王朝時代のティソン・デツェン王の頃から歴史に登場し、コン・ペルポチェは大臣を務めている[2]。また、インドからの渡来僧シャーンタラクシタに得度を受けた[2]ルイ・ワンポはチベット最初期の僧の一人とされる[3]。
後にサキャ派の開祖となるコンチョ・ギェルポ(1034-1102)は、在家の行者であった[4]。コンチョ・ギェルポは、当初はチベット古来からの仏教であるニンマ派の教えを受けたが、規律の緩みはじめていたニンマ派の教えに飽き足らず、兄シェーラプツルティムに命じられてドクミ(Drogmi)の門下となった。ドクミはインドから来た高僧アティーシャの弟子で、インドのVikramshila大学( ⇒en:Vikramashila University)で数年学んだ学者・翻訳家である。ドクミはサンスクリット文字の原典をチベット語に翻訳した『カーラチャクラ(時輪)タントラ』をコンチョ・ギェルポに授け、これがサキャ派の教義の基盤になった[3]。
コンチョ・ギェルポは1073年、チベット南部のシガツェにあるポンボ山(dPon po ri)ポンポリの白い土地を吉祥と見て寺を建てた[5]。そのため、コンチョ・ギェルポの始めた教義は「白い土地」を意味する「サキャ」と名づけられた。また、この寺が後のサキャ寺である。
サキャ寺院を開いたのはコンチョ・ギェルポであるが、サキャ派の初代座主はコンチョ・ギェルポの兄シェーラプツルティムとされ、コンチョ・ギェルポは2代目座主と呼ばれている[5]。
初期に座主を務めたコンチョ・ギェルポ、クンガ・ニンポ、ソナム・ツェモの3人は親、子、孫の関係で[6]、「白い3人」と呼ばれる。チベットでは赤は出家者の色、白は在家者の色とされ、「白い3人」は在家者であることを意味している[4]。サチェン・クンガ・ニンポ
3代目座主でサチェン・クンガ・ニンポ( ⇒en:Sachen Kunga Nyingpo) (1092 - 1158)は、タントラの教えをドクミ翻訳官, Bari翻訳官, Mal翻訳官ら大勢のチベット人翻訳官「ロツァワ( ⇒en:lotsawa)」から受けた。ドクミはサキャ派で最高の教えとされるラムデ(lam 'bras、道果法)の体系を授けた。また、Bari翻訳官は数多くの輪廻に関するタントラの教義を導いた。サチェン・クンガ・ニンポは『密教概論』を著し、サキャ派の教義の基盤を作り[4]、「偉大なサキャパ(=サチェン)」と呼ばれるようになった。サチェン・クンガ・ニンポと、その後の座主ソナム・ツェモ、ダクパ・ギャルツェン、サキャ・パンディタ、パクパの5人はサキャ派の「五大先師」と呼ばれている。
4代目座主のソナム・ツェモ( ⇒en:Sonam Tsemo (1142 - 1182)は、分量としてはクンガ・ニンポの著書の6倍ほどの分量がある『密教概論』を補記する書を作った。ソナムツェモはチベットの論理学者チャパ・チョーキセンゲ(1109-1169)の元で7年間学んだこともあり、サチェンよりも顕教的素養が大きい[4]。
5代目、6代目の2人は「赤い2人」と呼ばれる。5代目座主はダクパ・ギャルツェン( ⇒en:Drakpa Gyaltsen) (1147 - 1216)、6代目座主はサキャ・パンディタ(en:Sakya Pandita) (1182 - 1251) である。