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サイパン島 (Saipan Island) は、アメリカ合衆国の自治領である北マリアナ諸島の中心的な島であり、首都ススペ (Susupe) も同島にある。
目次
1 地理
2 気候
3 歴史
3.1 スペイン統治時代
3.2 ドイツ統治時代
3.3 日本統治時代
3.4 第二次世界大戦
3.5 戦後
4 現況
5 交通
5.1 航空
5.2 島内
6 名産物
7 関連項目
8 外部リンク
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北緯15°15'東経145°45'で、面積は122km2、人口58,000人。付属島としてマニャガハ島がある。サイパン島の北にはファラリョン・デ・メディニラ島、南にはサイパン海峡を挟んでテニアン島 (TinianIsland) がある。島の最高所はタポーチョ山の473m。
年間を通して高温多湿で気温変化が少ない海洋性亜熱帯気候。平均気温は27℃と常夏の島であり1年中泳ぐことができる。季節の変わり目が明瞭でないが、乾季(11月?3月位)と雨季(4月?10月位)の2季に分けられる。雨はスコール(驟雨)が多い。湿度が高く近隣の海洋上では熱帯性低気圧が発生する地域でもある。
1521年3月6日にマゼランがヨーロッパ人として初めてマリアナ諸島を発見し、1565年にはマリアナ諸島の領有を西欧諸国に布告した。それ以降3世紀に渡りスペインの統治下にあった。
1668年にイエズス会のサンヴィトレス神父を長とする伝道使節団がマリアナ諸島のグアム島に来訪して以来、マリアナ諸島全域で住民のキリスト教化が始まった。当初はその布教は順調であったが、島民の旧習に干渉する神父たちに次第に島民は反感を抱くようになり、1670年1月にサイパン島で島民による伝道師殺害事件が起きた。この事件がその後十数年に及ぶスペイン=チャモロ戦争の発端となり、スペインは軍隊を派遣して島民を虐殺した。
その後、1695年にスペインはサイパン以北のマリアナ諸島の島民をサイパン島に強制移住させた。だが、すぐにそれらの島民も1698年にサイパン島に元からいた住民と共にグアム島へ強制移住させられ、サイパンは一時無人島となった。
1815年にはカロリン諸島のサタワル環礁から酋長アグラグに率いられた一団が移住し、更にスペインはチャモロ人の帰島を認めたため再び同島は有人島となった。
1898年、米西戦争でスペインの支配は終わりドイツに売却される。ドイツは開拓を放棄し、同島を流刑地に選んだ。
1914年7月、第一次世界大戦が勃発し、10月14日には連合国側であった日本が赤道以北の南洋諸島全体を占領した。この事に伴い、日本国内では彩帆島と呼称される事となる。1920年には国際連盟の委任統治領となり、同島には南洋庁サイパン支庁が置かれ、サイパン島は内地から南洋への玄関口として栄えた。
1943年8月の時点での人口は日本人(植民地の台湾人、朝鮮人含む)29348人、チャモロ人、カナカ人3926人、外国人11人となっていた。
第二次世界大戦中は、日本軍司令部があったこともあり、1944年6月のアメリカ軍をはじめとする連合国軍の上陸の際には住民を巻き込んでの激しい戦闘によって多数の犠牲者を出した。