ゴードン・ブラウン
James Gordon Brown
イギリス第74代首相
任期:2007年6月27日 ? 現職
財務大臣
任期:1997年5月2日 ? 2007年6月27日
出生:1951年2月20日(57歳)
スコットランド・グラスゴー
政党:労働党
配偶:サラ・マコーリー
ジェームズ・ゴードン・ブラウン(The Right Honourable[1] James Gordon Brown, 1951年2月20日 - )は第74代イギリス首相(2007年 -)。
労働党第19代党首(2007年 - )。庶民院議員。イギリス、スコットランド出身。
1983年から2005年まではダンファームリン東区選出の国会議員を務め、スコットランドの選挙区改変が行われた2005年の総選挙以降はカーコーディーおよびカウデンビース区選出の国会議員を務めている。1997年5月から2007年6月までブレア政権で財務大臣を務める。財務大臣としての在任期間は、19世紀の政治家ニコラス・ヴァンシタートに次ぐ長さである(2006年時点)。
2007年6月24日開催の英国労働党大会で党首に選出され、同年6月27日に首相の座を退いたトニー・ブレアの後継としてイギリスの首相に任命された。
目次
1 来歴
1.1 幼少期から政治家になるまで
1.2 財務大臣への就任
1.3 ポスト・ブレア
1.4 イギリス首相に
2 私生活
3 著作
4 関連項目
5 参照
6 外部リンク
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1951年スコットランドのグラスゴー生まれ。父はスコットランド長老派教会の牧師であった。ファイフ州のカーコーディー高校( ⇒Kirkcaldy High School)在籍時にラグビーの競技中の事故で網膜剥離を患い左目を失明しており、現在は義眼を用いている。成績優秀により16歳でエディンバラ大学へ進学し歴史学を専攻、優等の成績で卒業した。1982年に労働党左派の政治家ジェームズ・マクストンに関する研究でエディンバラ大学より博士号を取得している。
学生の身分でエジンバラ大学の運営評議会の議長(Rector)に選出された他[2]、左派新聞のレッド・ペーパー・オン・スコットランド[3]の編集長も務めた。エジンバラ大学での臨時講師を経てグラスゴー工科大学にて政治学の講師を務めた後、スコティッシュ・テレヴィジョンでジャーナリスト、テレビプロデューサーとして働いた。1979年の総選挙にはエジンバラ南区より労働党候補として立候補したが、保守党所属のマイケル・アンクラムに敗れ落選する。
1983年の総選挙ではダンファームリン東区で労働党候補として立候補し当選。1985年には影の内閣貿易・産業省のスポークスマン、その後影の内閣財務大臣、貿易・産業大臣を務めた。
1994年5月の労働党党首ジョン・スミスの急死に際しては後継候補として有力視されたが、彼はこれを辞退してトニー・ブレアに党首の座を譲った。この際の経緯に関して、二人の間には密約が交わされているとの噂がある。ロンドンのイズリントン地区のレストランで会食した際に、ブレアを党首とする代償としてブラウンが経済政策を取り仕切ること、そしてブラウンをブレアの後継者とすることが約束されたと言われる。(ブレア=ブラウン密約)それぞれ労働党の左派と穏健派を代表する二人の間には政治的対立があるとの報道がなされることが多い。
1997年5月の総選挙で労働党は大勝利を収めブレア政権が誕生した。ブラウンは影の内閣より引き続いて財務大臣に任命された。ブラウンは就任直後に金融政策の大転換を行い国民を驚かせた。公定歩合の決定権を含めた金融政策の責任をイングランド銀行へと大幅に譲渡するこの政策は、ブラウンのアシスタントであり、現庶民院議員エド・ボールズによりまとめられたものである。