コリントス
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コリントス

Κ?ρινθο?
衛星写真
位置
コリントスの位置

座標: ⇒37°56′N, 22°56′E
歴史

{{{成立区分1}}}{{{成立日1}}}
{{{成立区分2}}}{{{成立日2}}}
旧名{{{旧名}}}
創設者{{{創設者}}}
行政
ギリシャ
 地方ペロポネソス
 コリンティア県


コリントス

Κ?ρινθο?

地理
面積 
  市域102.2 km2
    陸上
    水面  {{{水面面積(平方キロ)}}} km2
      水面面積比率
  市街地
  都市圏
標高10 m
人口動態
人口(2001年現在)
  市域36,555 人
    人口密度  358 人/km2
  市街地
    市街地人口密度
  都市圏
    都市圏人口密度
  備考
その他
等時帯EETUTC+2
  夏時間EEST (UTC+3
{{{郵便番号の区分}}}{{{郵便番号}}}
市外局番{{{市外局番}}}
ナンバープレート{{{ナンバープレート}}}
ISO 3166-2{{{ISOコード}}}

公式ウェブサイト: ⇒[1]

コリントス(ギリシャ語:Κ?ρινθο?、ラテン文字表記:Korinthos、ラテン語:Corinthus、: Corinth)は古代ギリシア都市国家ポリス)。コリント湾とサロニカ湾の間の地峡に位置する港湾都市。
目次

1 歴史

1.1 古代ギリシア・ローマ時代

1.2 東ローマ帝国時代

1.3 アカイア公国

1.4 オスマン帝国の支配


2 現在

3 関連項目

4 姉妹都市

5 外部リンク

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歴史


古代ギリシア・ローマ時代ピレーネの泉

紀元前9世紀ドーリア人によって建設され商業都市として繁栄した。アプロディテを守護神としその祭祀で知られる。 ヘレニズム時代に繁栄した後、一時衰退したが、古代ローマ時代にローマの属領アカイア州の州都として再建され、繁栄を誇った。 キリスト教文化においてはパウロ書簡の宛て先としても知られる。現在のコリンシア(Corinthia)に相当する。

コリントスは非ギリシア語源の語とみられ、おそらくドリス人以前の先住民族の語。ミケーネ文化の頃にはすでに繁栄していたと推測される。神話ではコリントスの創設者はシシュポス王であり、コリントスの王はその子孫であるとされる。神話ではまたイアソンメデイアを離婚した土地ともいわれる。

古典期にはペロポネソス半島とギリシア本土をつなぐイストモス地峡に位置し、交通と交易の要衝として繁栄してアイギナと並ぶギリシャ世界の経済の中心となり、アテナイテバイの台頭後も財力でこれらに並んだ。コリントスのアクロポリスには、街の主神であるアプロディテの大神殿が築かれた。複数の文献が、この神殿に雇われていた千人の聖娼について伝えている。コリントスはまた四大ギリシア競技会のひとつ、イストモス祭を開催した。

紀元前7世紀には僭主により統治され、シュラクサイを初めとする複数の植民地を建設した。コリントスはペルシャ戦争でのギリシア方の主要ポリスのひとつであったが、後にはこのとき同盟したアテナイと敵対し、スパルタペロポンネソス同盟を結んだ。ペロポンネソス戦争の要因のひとつは、コリントスの植民市コルキュラをめぐるアテナイとコリントスの争いであった。軍事力に優れつつも経済的には脆弱だったスパルタの戦争継続能力維持を助けたのがコリントスの経済力であったと言われている。

紀元前146年、かねてより対立していた共和政ローマから執政官ルキウス・ムンミウス率いるローマ軍によりコリントスを包囲陥落、コリントスは完全に破壊された。その後も少数の住民がかつてコリントスがあった場所に住み着いていたことが考古学的証拠から明らかになっている。ガイウス・ユリウス・カエサル紀元前44年、植民市コローニア・ヤウス・ユリア・コリンティエンシス(Colonia Iaus Iulia Coloniensis コリントのヤウス・ユリア植民地の意)を再建した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki