ゲーリー・レーシッチ(Gary Louis Rajsich , 1954年10月28日 - )はプロ野球選手。
目次
1 球歴
2 年度別成績
3 エピソード
4 関連項目
5 外部リンク
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球歴
1978年にドラフト11位でヒューストン・アストロズに入団。
1981年にニューヨーク・メッツにトレードで移籍。
1984年にセントルイス・カージナルスに移籍。
1985年にサンフランシスコ・ジャイアンツにトレードで移籍。
1986年に中日ドラゴンズに入団。登録名はゲーリー、背番号は4。
1987年には出場辞退したボブ・ホーナーに代わってオールスターゲームに出場。
1988年限りで中日を退団。この年、3番・レフト(シーズン序盤はファースト)としてチームの優勝に貢献した。
年度チーム背
番
号試合打数得点安打二塁
打三塁
打本塁
打塁打打点盗塁犠打犠飛四死球三振打率(順位)
1986年中日412948658122122362468220336105.251(28)
1987年873316010511424196542132451.317
1988年1013585610525316184532064051.293(10)
通算成績3171175174332489766261896112100207.283
エピソード
兄のデヴィッド・レーシッチ(David Christopher Rajsich, 1951年9月28日-)は1984年に広島東洋カープで左サイドスローのリリーフ投手として23試合に登板し、1敗1セーブの成績を残している。
彼の応援歌は山本リンダの「狙いうち」が元ネタであり、その後、ジョージ・ヒンショー、ベニー・ディステファーノ、マーク・ライアル、アロンゾ・パウエルの応援歌として流用され、現在は中日のチャンステーマに使われているほか(主に、7回以降の場面)、高校野球や社会人野球でもヒッティングマーチの定番としてよく使われている。
当時中日の4番を打っていた落合博満の神主打法を真似るなど、努力して日本野球に対応した。ちなみに落合入団以前は典型的プルヒッターだったが、落合入団以降は広角に打ち分ける術を身につけ、打率も大幅に上昇し、三振の数も1年目の約半分に減らすことに成功した。
中日時代の通訳を努めた足木敏郎とは今でも電話などで交流があるらしく、彼の話によれば現在は相当太ったらしい。
外部リンク
⇒Gary Rajsich Statistics - Baseball-Reference.com(メジャーリーグ成績・英語)( ⇒Baseball-Reference.com - Major League Baseball Statistics and Historyより)
カテゴリ: アメリカ合衆国の野球選手 | ニューヨーク・メッツの選手 | セントルイス・カージナルスの選手 | サンフランシスコ・ジャイアンツの選手 | 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 | 1954年生
更新日時:2008年6月21日(土)18:01
取得日時:2008/11/15 10:21