ゲーベン追跡戦
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ゲーベン追跡戦(ゲーベンついせきせん)とは第一次世界大戦勃発時に地中海で生起した軍事行動であり、イギリスの地中海艦隊が巡洋戦艦ゲーベン軽巡洋艦ブレスラウからなるドイツの地中海艦隊の行動を妨害しようとしたものである。ドイツ艦隊はイギリス艦隊から逃れ、ダーダネルス海峡を通過してコンスタンティノープルに至った。このことはオスマン帝国同盟国側で第一次世界大戦に参戦するきっかけとなった。
目次

1 背景

2 開戦直後

3 最初の接触

4 追跡

5 その後

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背景

巡洋戦艦ゲーベンと軽巡洋艦ブレスラウからなるドイツの地中海艦隊(ヴィルヘルム・フォン・ゾーヒョン少将)は1912年に派遣された。その戦時における役割はアルジェリアからフランスへの兵員輸送の妨害であった。ゲーベンとブレスラウは共に1912年に竣工したばかりの新鋭艦であった。

一方、イギリスも1914年には地中海艦隊を改編、戦艦6隻を本国に戻し、そのかわり巡洋戦艦2隻を編入した。これにより、地中海のイギリス巡洋戦艦は3隻となっていた。


開戦直後

1914年7月28日オーストリア・ハンガリー帝国セルビアとの間で戦争が勃発した時、ゲーベンはアドリア海のポーラでボイラーの修理中であった。アドリア海に閉じ込められないためにゾーヒョンは修理を急がせたが、結局修理が完了していない状態で出航した。8月1日にゾーヒョンはイタリアブリンディジに到着したが、イタリアは中立であることを理由にして給炭を行わなかった。ゲーベンはタラントでブレスラウと合流後メッシーナへ向かい、そこでドイツ商船から石炭を補給した。

一方、7月31日にイギリスの海相ウィンストン・チャーチルは地中海艦隊の指揮官Sir Archibald Berkeley Milne中将に対し、地中海を横切ってXIX Corpsを運んでいるフランスの船団を護衛するよう指示した。この時、マルタを拠点とする地中海艦隊は巡洋戦艦、インフレキシブルインディファティガブルインドミタブル、装甲巡洋艦4隻、軽巡洋艦4隻および14隻の駆逐艦からなっていた。

8月1日、ミルンはマルタに艦隊を集結させた。翌日、ミルンは、オーストリア海軍の出撃に備えてアドリア海の監視を続ける一方、巡洋戦艦2隻でゲーベンを追跡するよう指示を受けた。ミルンはこれに背き、インドミタブル、インディファティガブルをErnest Troubridge少将麾下の巡洋艦戦隊と共にアドリア海に向かわせ、軽巡洋艦チャタムをメッシーナ海峡へゲーベン捜索に向かわせた。しかし、8月3日朝の時点で既にドイツ艦隊はメッシーナを離れて西へ向かっており、ミルンはインドミタブルとインディファティガブルをゲーベン捜索のため西へ向かわせた。


最初の接触

明確な命令は無く、そのためゾーヒョンはアフリカ沿岸で戦争開始に備えることにした。ゾーヒョンはアルジェリアの港ボーヌ(現在のアナバ)とフィリップビルの攻撃を計画した。そしてゲーベンがフィリップビルへ、ブレスラウがボーヌへ向かった。8月3日午後6時、西に向かって航行中にゾーヒョンはドイツがフランスに宣戦布告したという報告を受けた。4日朝早く、ゾーヒョンは司令長官であるアルフレート・フォン・ティルピッツ提督から「8月3日トルコと同盟が結ばれた。直ちにコンスタンティノープルへ向かえ」という命令を受けた。目標近くまで着ていたため、ゾーヒョンはで夜明けに砲撃を行い、それから給炭のためメッシーナに向かった。

戦争前のイギリスとの協定により大西洋沿岸防衛をイギリスに任せていたためフランスは全艦隊を地中海に集中させることができた。フランス艦隊の3つの部隊が輸送船団の護衛に当たっていた。しかし、ゲーベンがさらに西に向かうことも予想されたにもかかわらず、フランスのAugustin de Lapeyrere中将はゲーベン捜索に1隻の艦艇も派遣しなかった。そのためゾーヒョンは妨害を受けずに東に向かうことができた。

ゾーヒョンの進路にはイギリスの巡洋戦艦インドミタブルとインディファティガブルがおり、8月4日午前9時30分に両者は接触した。フランスと異なり、この時イギリスはまだドイツと戦争状態になっていなかった。そこで、イギリスの巡洋戦艦ははゲーベンとブレスラウの追跡を開始した。ミルンはドイツ艦隊と触したこととその位置は報告したが東に向かっていることを伝えるのを怠った。そのため、チャーチルはドイツ艦隊がまだフランスの輸送船団の脅威になると思い、ミルンに輸送部隊が攻撃された場合は交戦することを許可した。


追跡

ゲーベンの速力は27ノットであったがボイラーの損傷のため24ノットしか出せなかった。ゾーヒョンにとって幸運なことにイギリスの2隻の巡洋戦艦もボイラーに問題を抱えておりゲーベンの速度についてくることができなかった。インドミタブル、インディファティガブルは遅れ、軽巡洋艦ダブリンが接触を続けたが、霧および日没のためシチリア島北岸のサン・ヴィト岬沖でダブリンはドイツ艦隊を見失った。ゲーベンとブレスラウは8月4日深夜にメッシーナに到着した。また、ドイツはイギリスと戦争状態になった。

海軍省はミルンに、イタリアの中立を尊重しイタリアの領海内に侵入しないよう命じた。これはメッシーナ海峡の通過が不可能であることを意味した。そのため、ミルンは海峡の出口に部隊を配置した。未だゾーヒョンが輸送船団攻撃や大西洋に向かうと予想していたため、ミルンは2隻の巡洋戦艦、インフレクシブルとインディファティガブルを海峡の北に配置し、南側は軽巡洋艦グロスター1隻のみであった。その上、ミルンはインドミタブルをチュニジアのビゼルトへ給炭に向かわせた。

ゾーヒョンにとってメッシーナは避難所とはならなかった。イタリアは彼に24時間以内の出港を要求し、石炭の補給は拒絶した。ドイツの汽船から石炭が集められたが、集まったのは8月6日夕刻までで1500トンであり、コンスタンティノープルに行くのには不十分であった。ティルピッツ提督からの新たなメッセージがさらにゾーヒョンを窮地に追い込んだ。ミルンは、オーストリアの海軍は地中海での支援は行わず、またトルコは未だ中立であるため、コンスタンティノープルに向かうべきではないと知らされた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen