ケビン・マイケル・ラッド
Kevin Michael Rudd
オーストラリア第26代首相
任期:2007年12月3日 ? 現職
出生:1957年9月21日(50歳)
オーストラリアクイーンズランド州ナンボー
政党:オーストラリア労働党
ケビン・マイケル・ラッド (Kevin Michael Rudd, 漢字表記:陸克文) (1957年9月21日 - ) は、2007年12月3日に就任したオーストラリアの首相(第26代)である。2006年12月より、オーストラリア労働党党首を務める。1998年からクイーンズランド州ブリスベン南部のグリフィス選挙区選出の連邦下院議員である。
目次
1 生い立ち
2 クイーンズランド州政界
3 連邦議員
4 首相
5 外交政策
6 家族
7 外部リンク
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ブリスベン北方のナンボー ( ⇒en:Nambour, Queensland) の農家に生まれる。父は国民党の前身の地方党員であったが11歳の時に死別、離農を余儀なくされる。
家庭は貧しかったが奨学金を得てキャンベラのオーストラリア国立大学に進学し、第一等の成績でアジア研究専攻を卒業する。中国語と中国史を専攻し、北京語を流暢に話す(ラッドの話す北京語は、各種動画サイトなどで見ることができる)。漢字名「陸克文」の漢字は自ら選んだものである。
カトリック教徒であったがキリスト教学生会で知り合ったテレイズ・レインと1981年に結婚し彼女の所属する聖公会の礼拝に出席するようになる。 1981年にオーストラリア連邦政府の外務貿易省に入省。1988年に退職するまで、在スウェーデン、在中華人民共和国大使館に駐在勤務し、外交官として活動した。
1988年に、クイーンズランド州の労働党(当時野党)の党首、ウェイン・ゴスのスタッフとなる。1989年に労働党が同州の政権につくと、1992年まで州首相のスタッフ長となる。1992年には、州政府の内閣官房長官となる。この地位は州の官僚で最も実権のある地位とも言われる。連邦・州・特別地域首相会議 (COAG) でのアジア言語・文化の教育への導入に影響を与える。1995年にゴス政権が敗れると、ラッドは監査法人KPMGオーストラリアの中国コンサルタントに就任した。
連邦議員
(1996年:連邦下院のグリフィス選挙区に出馬し落選。)
1998年:連邦下院のグリフィス選挙区に再出馬し当選。
2001年-2005年:野党の外交スポークスマン(影の外相)
2005年6月:国際安全保障および貿易スポークスマンも兼任。
2006年12月:キム・ビーズリー党首に党首選挙を申し入れる。
2006年12月4日:党連邦議員総会での党首選挙に勝利し、党首に就任する。
以下、ラッド政権の主要な実施事項を述べる。
2007年12月3日:11月24日の連邦議会選挙勝利の結果、第26代オーストラリアの首相に就任。
2007年12月:京都議定書に調印。
2007年12月:イラク駐留のオーストラリア軍部隊を2008年6月までに撤収させる交渉を関係各国と開始。
2008年2月13日:連邦議会で先住民児童政策(「盗まれた世代」)への謝罪演説を行う。
2008年4月:北京大学で北京語で講演し「チベットには顕著な人権問題がある」と発言。
2008年6月8日:首相として初めての来日。
環境問題に大変関心が高く、温室効果ガスの排出削減を発展途上国にも徹底させる方針である。また、前任のジョン・ハワードがどちらかといえば親米・親日派であったのに対し、親中派である。例えば、中国に対しては前ハワード政権に引き続き経済関係を強化する政策をとっており、日本との関係で言えば捕鯨問題の外交問題化・中国が反発する日米豪印対話や日豪共同宣言条約化の先送りが発生している。ただし、反米・反日派ではなく友好関係は維持すると表明している。
妻のテレイズ・レイン(夫婦別姓)は人材会社を経営するが、ラッドの党首就任時に首相候補夫人が当該国で会社を経営することの利益相反を問題視され、オーストラリアの事業売却を余儀なくされた。
一女二男の父である。2007年5月に弁護士の長女が結婚している。二人の息子は現在学生である。
外部リンクウィキメディア・コモンズには、ケビン・ラッドに関連する ⇒カテゴリと ⇒マルチメディアがあります。