クーデター(仏: coup d'?tat、国家への一撃。クーデタ。英語: coup d'?tat クーデター、coup クー)は、支配階級内の権力移動の内、非合法的な手段によるものを言う。暴力装置(軍隊など)を用いたクーデターを「軍事クーデター」とも言う。日本語では、流血もなく平和裡に成功した場合は政変(無血クーデター)、武力衝突や流血をともなった場合は武力政変などとも言われる。失敗して鎮圧された場合は事変とも呼ばれる。
クーデターは、政体あるいは経済体制の変革を目的とする革命とは異なるが、支配階級の一部が革命を企図してクーデターを試みることもある。また、支配階級内の権力移動が成功せずに武力衝突が続く場合、正規軍を持つ交戦団体同士の場合なら内戦、交戦団体ではない状態なら内乱(現代風には「内戦状態」とも)と呼ぶ。
目次
1 クーデターの歴史
2 注釈
3 日本のクーデター(失敗及び未遂を含む)
4 世界のクーデター
4.1 19世紀以前
4.2 20世紀
4.3 21世紀
5 サミュエル・P・ハンティントンによる分類
6 その他
7 関連項目
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歴史上のクーデターは、政権内の有力者、有力者を担いだ者又は有力者を担ぐことを標榜する者が、自分より上位の有力者を一斉に無力化することにより、自分がトップに躍り出るというものである。
このため、主に中央集権化した体制でおきる。 なぜなら、封建制など地方分権の強い体制では、中央が入れ替わっても、地方がそれに従うとは限らないからである。
以上の理由により、ローマ帝国(共和制時代、東ローマ帝国含めて)、イスラム帝国、中華帝国では非常に多く起きている。
近世に入ってからは多くの国で中央集権化が進んだためクーデターが容易になったが、一方で工業化が進み大衆が豊かになり社会構造が複雑化すると、地方政府、政党、官僚、警察、企業、労組、宗教、圧力団体、マスコミ、その他コミュニティーといった多岐にわたる権力集団をすべて軍事力で掌握することは非常に困難になり、一般に先進工業社会ではクーデターが稀になってきている。しかし一般大衆の子弟が高等教育を受けることが困難で、立身出世を望む優秀な若者が軍に集中する構造の社会では今もクーデターが頻発する。
現代では、軍事力は国軍が握っているため、国家体制が未発達の国で傭兵や民兵が企てる以外は、国軍によるクーデターがほとんどである。軍の最高幹部が起こすものと中堅幹部が起こすものがあり、後者の方がより体制変革(革命)の意識が強いが、どちらも革命評議会、臨時救国政府等と名乗る軍事政権(junta)を作ることが多い。そうでなければ、最高幹部が名目上、退役し、軍の力を背景に、利権と弾圧によって大統領になるというものである。
年名称備考
645年大化の改新(乙巳の変)中大兄皇子らによる蘇我入鹿の殺害、その父蝦夷の自殺。
1159年平治の乱藤原信頼、源義朝が後白河上皇を確保するが平清盛の反撃により失敗。
1179年治承三年の政変平清盛が後白河法皇を幽閉して太政大臣・関白らを流刑にするが源頼朝らの挙兵を招いた。
1493年明応の政変室町幕府の管領細川政元が将軍足利義材を幽閉して足利義澄を後継者とする(今日ではこの事件が日本の戦国時代の開始とする説が有力である)。
1565年永禄の変三好三人衆と松永久秀が将軍足利義輝を殺害し足利義栄を擁立。
1582年本能寺の変明智光秀が主君織田信長を殺害して京都を掌握するも、羽柴秀吉に敗れて失敗。
1868年王政復古薩摩藩兵らが朝廷主宰者たる摂政の参内を阻止する中で岩倉具視らが徳川宗家を排除した新政体を樹立。