キュベレーは、アナトリア半島のプリュギアで崇拝され、古代ギリシア、古代ローマにも信仰が広がった大地母神である。
目次
1 名前
2 概要
3 キュベレー崇拝
4 キュベレー崇拝の歴史
4.1 概説:アナトリア、ギリシア、ローマ
4.2 アナトリアのキュベレー
4.3 キュベレーとアッティス
4.4 エーゲのキュベレー
4.5 ローマのキュベレー
5 メモ
6 参考文献
7 外部リンク
8 関連項目
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ギリシア語ではΚυβ?ληである。しばしば「髪の毛のある女性」が語源とされるが、それはプリュギアー語ではなくギリシア語と考えた場合である。ギリシア神話に取り入れられる前のフリュギア語での呼び名はクババ( ⇒Kubaba)であり、より古い時代にアナトリア半島で使われたルウィ語( ⇒Luwian、楔形文字参照)起源であるとの説が、より広く受け入れられている。ローマ神話ではマグナ・マーテル(Magna Mater、大いなる母)に対応する。
この女神はアナトリアで新石器時代から崇拝されていた大地母神の系譜を引いていると考えられている。ガイアーやそのクレタ島での対応女神レアーと同じく、キュベレーは肥沃な大地、谷や山、壁や砦、自然、野生動物(特にライオンと蜂)を体現する。「ポトニア・テローン(百獣の女王,Ποτνια θερων)」という称号はクレタの大いなる母(レアのこと)とも関連して、この女神が旧石器時代に遡る歴史をもつことをほのめかしている。この女神は死と再生の神の一柱である。キュベレーの夫は、同時にキュベレーの息子であるアッティスで、後代にはアッティスの祭祀集団が結成された。
キュベレーは小アジアのイーデー山で生まれたと思われ、ローマで呼ばれた名、「マグナ・マーテル・デオールム・イーダイア(Magna Mater deorum Idaea、イーデーの「神々の大いなる母」)」はここから来ている(→大地母神、 ⇒Idaea)。
もっとも熱狂的なキュベレーの信奉者は、みずからを聖なる儀式で完全去勢した男性たちで、この儀式の後、彼らは女性の衣装をまとい、社会的に女性とみなされた。同時代の注釈家であるカルリマコスは彼らを、女性名詞の「ガッライ(Gallai),ギリシア語複数形」で呼んだが、古代ギリシアやローマの他の注釈家たちは、男性名詞の「ガッロス(Gallos),ギリシア語単数形」や「ガッリー(Galli),ラテン語複数形」で呼んだ。女神の女性司祭は、人々を乱交的儀式に導き、儀式では荒々しい音楽、ドラムの響き、踊りに飲酒が伴った。女神は、性器切断された後、甦った息子であるアッティスをめぐる秘儀宗教と関連していた。一説では、三人のダクテュロスたちが女神の従者であった。女神の信奉者たちは、プリュギア語でクルバンテス、ギリシア語でコリュバンテスと呼ばれ、彼らは、一晩中続く、太鼓の乱打、剣と楯を打ち鳴らす野性的な音楽、踊りに歌に叫び声によって、女神への恍惚として乱交的な崇拝を示した。
アタランテーとヒッポメネースは狩の途中、ゼウスの神域に入り、そこで交わったため神の怒りに触れライオンに変えられた。一説では、それはキュベレーの神域ともされ、二人は女神の車を牽くこととなったともされる。
プリュギアのペッシヌースにおいては、遥かな古代より、キュベレーの原型としてアグディスティス女神の信仰が存在した。紀元前203年、ペッシヌースの大いなる母を具現した聖崇拝物(神像ではなかった)が厳かにも恭しくローマに移された。
キュベレー崇拝は、すでに紀元前5世紀のギリシアで行われており、その地においては女神はしばしば、名を直接に使わず、婉曲語法によって、「メーテール・テオーン・イーダイア(Μητηρ Θεων Ιδαια、イーデーの「神々の母」)」と呼ばれた。キュベレー崇拝への言及は、とりわけピンダロスやエウリピデースに顕著である。しかし古典ギリシアの著作家たちは、アッティスの去勢の神話はよく知っていたにもかかわらず、性転換した「ガッリー(galli)」については知識がなかったか、または言及を行っていない。
ギリシアにおけるキュベレーの崇拝は、明らかに類似性が認められるディニューソスの崇拝と密接に関連付けられた。キュベレーは、ディニュソースよりイニシエーションを受けたとも言われている。ギリシア人たちはまた、キュベレーを「神々の母レアー」と同一視した。