キャサリン・ヘプバーン
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キャサリン・ヘプバーン
Katharine Hepburn
本名Katharine Houghton Hepburn
生年月日1907年5月12日
没年月日2003年6月29日(満96歳没)
出生地コネチカット州ハートフォード
国籍 アメリカ合衆国
職業女優
ジャンル映画・舞台
配偶者Ludlow Ogden Smith (1928 ? 1934)

受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1933年『勝利の朝』
1967年『招かれざる客
1968年『冬のライオン
1981年『黄昏

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キャサリン・ホートン・ヘプバーン(Katharine Houghton Hepburn、1907年5月12日 - 2003年6月29日)は、アメリカ合衆国女優ハリウッド映画史上最も特筆すべき女優の一人である。

2008年現在、オスカーを4回受賞したただ一人の俳優。ノミネート数は12回に上る。ただし本人が授賞式に出かけたことは1度もなかった(別の人のプレゼンターとして1度だけ授賞式に出かけたことがある)。
目次

1 生涯

2 エピソード

3 主な出演作品

4 キャサリン・ヘプバーンを演じた女優

5 ヘボン博士の孫か

6 脚注

7 外部リンク

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生涯

コネチカット州ハートフォードにて生まれる。父親のトーマスはバージニア州出身の医師、母親のキャサリンは婦人参政権論者。幼い頃から演じることに熱中していた。大学では心理学を学んでいたが演劇も続け、卒業後に劇団に参加。舞台を経て、1932年に『愛の鳴咽』で映画デビューした。

決して正統派美人女優ではないが、飾らない性格と知的な雰囲気、確かな演技力で世界中から愛された。身長が170センチあり、当時としては大柄な女優で、小柄な男優が相手役を尻込みしたという。『フィラデルフィア物語』などのジョージ・キューカーと組んだコメディも有名である。一方、気が強い性格で、そりの合わなかったジョゼフ・L・マンキウィッツ監督に、『去年の夏、突然に』の映画撮影終了後につばを吐きかけたという逸話がある。

米国映画協会(AFI)が1999年6月に選出した、米国で「最も偉大なる女優50名」の中で、第1位であった。

9作品で共演したスペンサー・トレイシーとは名コンビだった。初めて撮影所で顔を合わせた際、キャサリンが「私より背が低いみたいね。」と漏らすと、スペンサーが「心配ない。僕の身長に合わせて君を切ってしまうから。」と答えたという。(彼は165センチ程度)。ハリウッドの俳優がハンサムだが女性的すぎると物足りなさを感じていたキャサリンは、この荒々しい返答に逆に惹かれた。彼に家族がいたために二人は結婚しなかったが、パートナー同士であった。彼女は自宅をニューヨークに持ち、ハリウッドで仕事の時はスペンサーの家に泊まった。スペンサーの死を見取ったのもキャサリンであった。しかし、葬儀には出席しなかった。理由は、「(スペンサーの妻の)ルイーズに申し訳ないから。」というものだった。

1930年代からの活躍の時期が重なる俳優ヘンリー・フォンダとは、共演したことがなかったが、彼の長女で映画『黄昏』のプロデューサーでもあったジェーン・フォンダは、父の相手役にと直接キャサリンに出演交渉した。『黄昏』の内容が良かったこと、父に、現役の俳優として最高の栄誉であるアカデミー主演男優賞を取らせてやりたいと願うジェーンの熱意にほだされ、出演を承諾したという。

2003年に老衰で死亡。享年96。


エピソード

女優のキャサリン・ホートンは姪にあたる。

『冬のライオン』で共演したピーター・オトゥールは、当時生まれた自分の娘に、尊敬するキャサリン・ヘプバーンの愛称から「ケイト」と名付けた。


主な出演作品

愛の嗚咽 - ⇒A Bill of Divorcement (1932)

勝利の朝 - ⇒Morning Glory (1933) ※アカデミー主演女優賞受賞

若草物語 - ⇒Little Women (1933)

乙女よ嘆くな - ⇒Alice Adams (1935)

赤ちゃん教育 - ⇒Bringing Up Baby (1938)

素晴らしき休日 - ⇒Holiday (1938)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki