ガンデンポタン (???????????????????????????????????????????) は、ダライ・ラマを長とし、ラサを本拠として1642年に成立したチベットの政府。1959年、チベット動乱の際、ダライ・ラマとともにインドに脱出、現在はチベット亡命政府として十数万人からなるチベット難民組織の頂点に位置する。
その呼称は、この政府がポタラ宮殿(1660年完成)に移転するまで本拠を置いていたデプン寺の「兜率宮殿」に由来する。ワイリー拡張方式によるチベット語表記では、dga' ldan pho brang。チベット政府としての正式呼称は「ガンデンポタン・チョーレーナムギャル(dga' ldan pho brang phyogs las rnam rgyal, 諸方に勝利せるガンデンポタン)」。
Dga' ldan
(チベットの旗)
政府根拠地のあるダラムサラの位置
公用語チベット語
本拠地ダラムサラ
国家元首(ダライ・ラマ)ダライ・ラマ14世
国歌チベットの国歌
目次
1 組織
1.1 発足
1.2 デシー・サンギェギャムツォの台頭と失墜
1.3 チンギスハン・ラサンの覇権
1.4 ダライラマ6世、7世を巡るグシ・ハン一族の内紛とジュンガル・清朝の介入
1.5 ジュンワン(郡王政権)
1.6 カシャク制の成立
1.7 ダライラマ13世の改革とその挫折
1.8 チベット抗中ゲリラとガンデンポタン
1.9 チベット亡命政府の成立と組織機構
2 外交
3 領土的もしくは領域上の主張
4 歴史
4.1 ガンデンポタンの成立
4.2 雍正のチベット分割とガンデンポタン
4.3 カシャク制の成立
4.4 ダライラマ十三世の改革
4.5 近代以降
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
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ガンデンポタンの組織は、時期によって変化がみられ、その首班は次のように変遷した。1642年〜1720年 「ダライラマの財産管理や世俗業務の処理の担当者」という位置づけのデシーを首班とする1720年〜1727年 カロンと称する大臣たちの合議制1728年〜1750年 ポラ家が世襲するジュンワン(郡王)を首班とする1750年〜1959年 ダライラマ(または摂政)の下で、俗人3人、僧侶1人からなる「カシャク」(内閣)を指導部とする。
ガンデンポタンの組織機構の変遷は、次のように時期区分できる。
ダライラマの下にハンとデシーが並立(1642年〜1706年)
ハンによるデシー打倒(1706年〜1717年)
ジュンガル軍の占領下(1717年〜1720年)
三閣僚(のち五閣僚)並立体制(1720年〜1727年)
ジュンワン(郡王)政権(1727年〜1750年)
カシャク制(1751年〜1910年)
ダライラマ13世の近代化とその後(1910年〜1959年)
亡命政権時期(1959年〜)
デプン寺のダライ・ラマ5世の財務監ソナムチュンペルが西モンゴル・オイラトのホショト族の指導者グシ・ハンと結び、グシ・ハンは1637年〜1642年にかけてチベットの全域を平定、チベットの中枢部(ヤルンツァンポ河流域)がダライラマ領として寄進され、その統治機関としてガンデンポタンが発足した。