カントリー・ハウス (country house) とはブリテン島の農村において貴族およびジェントリの住居として建設された邸宅をさす。多くのカントリー・ハウスは16世紀から1914年までの期間に建設されており、二度の世界大戦による荒廃の危機を乗り越えた邸宅が現在1500から2000棟あまり残存し一般に公開されている。「カントリー・シート」、「ステイトリー・ホーム」、「グレイト・ハウス」などとも呼称される。ベッドフォードシャーウォバーンのウォバーン・アビー
18世紀に第4代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセルの命によってヘンリ・フリッツクロフトとヘンリ・ホランドの設計に基づいた大規模な改修が施され現在の姿となった。ベッドフォード公爵が現在も所有している。
目次
1 マナー・ハウスの形成
2 カントリー・ハウスの成立
3 カントリー・ハウスの概要
4 カントリー・ハウスと社会
4.1 主人
4.2 使用人
5 カントリー・ハウスの構造
6 建築史
6.1 初期
6.2 古典様式
6.3 パラーディオ主義とバロック建築
6.4 新古典主義
6.5 ゴシック・リヴァイヴァルと建築様式の多様化
7 カントリー・ハウスの凋落
8 近年の状況
9 フィクションの舞台として
10 参考文献
11 外部リンク
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紀元前55年にガイウス・ユリウス・カエサルによって開始されたローマ人のブリタンニア征服は、数世紀のうちにブリテン島南部におけるローマ人の支配権を確立させた。農村においてはイタリア周辺と同様の大規模土地所有が浸透してゆき、地主によって邸宅が建設された。別荘として用いられたイタリアのヴィッラとは異なり、これらは所領の中心として機能していた。多くの建物は基礎に石材を用いる一方で上部構造は木製であった。これらのほとんどは現存していないが、一部の建物には床暖房や浴室(現在のサウナ)などが完備されるなど、非常に高度な構造を有していたことが判明している。
アングロ・サクソン人とキリスト教の到来によってブリテン島の社会と文化は大きく変化した。この時代の地主の住居に関しては不明な点が多いが、建物はホール(多目的用途の広間)を中心としていたこと、夫人の生活する区画であるとされるバウワーという建家を有するなどの特徴が挙げられる。
1066年のノルマン・コンクェスト以後は、ノルマン貴族が軍事拠点としてイングランドに合計500あまりの城塞を建築した。ウィリアム1世はサクソン貴族を追放し、イングランド全土の5分の1を王領地に、残りを170人あまりのノルマン貴族たちと自らの親族に等分した。各貴族は自らの生活に必要な所領を取り置いた残りを家臣に分け与え、これら合計4000人ほどの陪臣が後にジェントリ、エスクワイアとしてジェントルマン層を形成することになった。農村における経済単位はマナー(荘園)であり、その支配者である荘園領主の邸宅はマナー・ハウスと称される。13世紀に建設されたウォリックシャーのバッズリー・クリントンがその代表例に挙げられる。総人口200万人ほどの農民は自らの農地での労働の他に領主直営地での耕作を義務づけられていた。一方で上流貴族の邸宅においてはホールの重要性がしだいに増加し、社交や政治目的(領主裁判など)で使用されるようになった。これはイングランド王ジョンの治世にノルマンディーにおける基盤を失ったノルマン貴族が、自らの地位を安定させるために上下関係を誇示するのに好都合なホールを重用したためでるとされる。