カスター将軍
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ジョージ・アームストロング・カスター

ジョージ・アームストロング・カスター(George Armstrong Custer, 1839年12月5日 - 1876年6月25日)は、アメリカ陸軍の軍人。最終階級は中佐リトルビッグホーンの戦いで戦死した。妻はエリザベス・ベーコン・カスター(1842 - 1933)。
目次

1 軍歴

2 関連作品(映画)

3 関連作品(小説)

4 関連項目

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軍歴

カスターは、1861年にウェストポイントを末席で卒業すると、南北戦争に参加して、シェリダン将軍の元で手柄を立て23歳で北軍義勇軍少将に昇進した。戦後、既婚者であったが、女関係のいざこざで居場所がなくなり、西部に活躍の場を求めた。正規軍の中佐として第7騎兵連隊の指揮官に任命されインディアン戦争の任務に従事するようになる。正規軍での地位は中佐であるがかつて義勇軍の将官であったため慣習により「将軍」と称されている。 スー族からは、その容貌から「パフスカ(長髪野郎)」と呼ばれた。

1868年11月、ワシタ川において、無抵抗で和平派のブラック・ケトルをチーフとするシャイアン族をいきなり襲って虐殺。女・子どもを問わない皆殺しだった。

1872年、カスターはスー族との不可侵条約を侵犯してブラックヒルズ(パハ・サパ)に分け入り、金鉱の存在を確認。ワシントンに対し、「(そこここに転がっている金を)長靴で蹴れるほど」莫大であると大げさに報告した。これによってゴールド・ラッシュが起こり、スー族の聖地ブラックヒルズが白人達に占拠されてしまう。

1876年6月22日、カスターは自ら700名の部隊を率いてリトルビッグホーン川をさかのぼって、6月25日早朝、インディアンの野営地を発見した。敵は1500名のラコタ族、シャイアン族アラパホ族からなる連合軍であった。慎重にとの副官リノの助言を無視し、無謀な突撃を行ったため225名の直属部隊は全滅した。(→リトルビッグホーンの戦い

インディアン達は、積もり募った怒りをカスターに対し爆発させた。特にシャイアン族は、ワシタ川の虐殺をよく覚えていたのである。カスターの長髪は、とてもよく目立ち、標的となった。また、クレイジー・ホースも、彼の顔をよく見知っていた。対してカスターは彼の顔を知らなかった。カスターを殺した戦士が誰なのかは未だにわからず、複数の戦士が名乗りを上げている。

カスターには、軍規を平気で破るなど向こう見ずなところがあり、その傲慢な性格が災いして全滅の憂き目を見た。彼の書き残したメモには、「(弾薬の)包みを持ってきてくれ」とあった。カスターはリトルビッグホーンの戦いでは、輸送馬車に2万4000発の弾薬を置いたまま、兵士達には124発ずつしか弾薬を装備させていなかった。

明らかに戦術の誤りによる自滅であるが、その妻リビー・カスターは夫の死後、カスターの神格化に奔走し、新聞や出版物を使い、カスターがあたかも残虐なインディアンの奸計に落ちた正義の人であるかのようなイメージ作りを行った。


関連作品(映画)

『 ⇒壮烈第七騎兵隊』(1941年、ラオール・ウォルシュ監督、エロール・フリン主演)


関連作品(小説)

『天国(ヴァルハラ)への疾走  カスター将軍最期の日々』(マイケル・ブレイク著、文藝春秋刊)


関連項目

リトルビッグホーンの戦い
ウィキメディア・コモンズには、 ⇒ジョージ・アームストロング・カスター に関連するマルチメディアがあります。

カテゴリ: アメリカ陸軍の軍人 | インディアン戦争 | 1839年生 | 1876年没

更新日時:2008年6月14日(土)12:31
取得日時:2008/08/17 14:48


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki