カイロ市街カイロ市街
目次
1 概要
2 地理
3 歴史
4 世界遺産
4.1 登録基準
5 交通
5.1 空路
5.2 鉄道
5.3 地下鉄
5.4 路面電車
5.5 バス
5.6 タクシー
6 姉妹都市
7 外部リンク
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ナイル川河畔の交通の要衝として中世に建設されてより現在にいたるまで長い時代を通じてイスラム世界における学術、文化、経済の中心都市でありつづけた中東屈指の大都市である。現在においてもカイロ首都圏(ナイル河西岸のギーザ市含む)の人口は1525万人(2004年)を数え、アフリカ大陸、中東地域いずれにおいても最大の人口を有する。 エジプトの乾燥した大地にナイル川が形作った肥沃なデルタ地帯のほぼ中央、要の位置にあたり、イスラム帝国が7世紀にエジプトを征服したとき、征服者アラブ人の住まう軍営都市(ミスル)が置かれて以来のエジプトの首府である。
日本語でよく知られる都市名のカイロは、英語名の Cairo に由来しており、現地語であるアラビア語ではカーヒラ(??????? al-Q?hira; 現代エジプト方言ではカーヘラ)という。しかし、現在でもミスル(??? misr; 現代エジプト方言ではマスル)という通称がよく用いられる。ミスルの名は、この町を首府としてきたこの地域の地名としてアラビア語に取り入れられ、アラビア語で「エジプト」のことをもミスルと呼ぶようになっている。
カイロの中心市街はナイル川の右岸、東側に位置する。ナイルをはさんで対岸の西郊には、ピラミッドで有名なギーザの町がある。町の南は古代エジプトの中心都市のひとつ、メンフィスである。
ナイル川は平坦な砂漠を流れる河川ではなく、東はアフリカ大地溝帯につらなる山脈によって紅海とさえぎられている。カイロ周辺では、南東に約100 km離れたガララアルババリーヤ山 (1274m) などが際立つ。ナイル川の西側も高地であり、ナイル川が流路を変える可能性は低い。
ナイル川の水の恵みを受けているのは南北に連なる幅15〜20 kmの細長い地域だけで、カイロ市外の南方10km まではこのような風景が続く。カイロは二つの高地が終わるちょうど扇状地の扇頂に相当する位置に広がる。このため、カイロ自体の標高は15mから60m程度だが、南東方向に2km進むだけで150mまで高度が上がる。
カイロの位置は、北緯30度03分、東経31度15分であり、主要都市では中華人民共和国のウーハンや、アメリカ合衆国のヒューストンやニューオーリンズと同じ緯度である。経度ではロシア連邦のサンクトペテルブルクやウクライナのキエフと近い。年間を通して南風が吹き、特に4月から5月にかけてはハムシーンと呼ばれる砂嵐が続く。年平均降水量は26.7 mmと低い。カイロがアフリカ一の大都市、砂漠気候に位置する都市として最大の都市となりえたのはまさにナイルの恵みのためである。
1月の平均気温は14.0度、7月は28.0度。ハムシーンの季節を除けば大気が乾燥していることもあって過ごしやすい。
古代エジプトからローマ属州時代は、カイロ地方はナイルデルタに属する湿地帯でしかなく、小規模の集落が点在するだけの未開地域であった。定住者が少なかったこともあって、イスラム帝国侵攻前の時代の遺跡はほとんど見つかっていない。ナイル川をはさんで対岸の西側のギーザ台地には三大ピラミッドが築かれているが、そのギーザも古王国時代の終焉とともにピラミッド信仰も衰退していったため、新王国時代には廃墟となっていた。
639年にエジプトへの侵攻を開始し、東ローマ帝国の駐留軍を破ったイスラム帝国軍の将軍アムル・イブン・アル=アースは、643年にローマ軍の駐屯都市バビュロンの近くにアラブによるエジプト支配の拠点として軍営都市を築き、フスタートの名を与えた。フスタートは現在カイロ市内の一部となっている地区である。初代エジプト総督となったアムルはフスタートの建設を進めるとともに、エジプトに灌漑施設を建設するなど支配の構築に努め、フスタートはその後一貫してエジプトの首府の地位を保つこととなった。
フスタートはその後、ウマイヤ朝、アッバース朝のエジプト州治所、トゥールーン朝、イフシード朝の首都を経て、969年に現在のチュニジアに興ったシーア派(イスマーイール派)のファーティマ朝の送り込んだ遠征軍によって征服された。ファーティマ朝はフスタートの北3km郊外の地点に新たに「勝利の町」を意味する「ミスル・アル=カーヒラ」の名をもち、ファーティマ朝のカリフが住む宮殿と、イスマーイール派の学術センターとして建設されたアズハル・モスクを中心に1km四方の方形の城壁を備えた新都を建設した。以来、カイロはファーティマ朝200年の首都となるが、紅海と地中海をつなぐ中継貿易の拠点としての経済機能は依然として旧市フスタートに残されていた。
1169年にファーティマ朝にかわってカイロでアイユーブ朝の政権を確立したサラーフッディーン(サラディン)は、ファーティマ朝の政府施設を接収するとエジプトの政府機能の一切をカイロに集約させ、カイロに城砦(シタデル)を建設して守りを固めるとともに、城壁と市街を南に拡大してフスタートをカイロに取り込ませる形で都市の拡張を進めた。