多号作戦(たごうさくせん)は、太平洋戦争で日本海軍の実施したレイテ増援輸送作戦のこと。主な揚陸地の名をとりオルモック輸送作戦とも呼ばれる。1944年(昭和19年)10月末から12月中旬までレイテ島への増援部隊輸送を第9次作戦まで繰り返した。
目次
1 背景
2 概要
3 作戦経過
3.1 多号作戦発動以前
3.1.1 第1次輸送
3.1.2 第2次輸送
3.2 第2次作戦
3.2.1 第3船団
3.2.2 第4船団
3.2.3 第2次輸送部隊
3.3 第4次作戦
3.3.1 第4船団
3.4 第3次作戦
3.5 第5次作戦
3.5.1 第1梯団
3.5.2 第2梯団
3.6 第6次作戦
3.7 第7次作戦
3.7.1 第1梯団
3.7.2 第2梯団
3.7.3 第3、第4梯団
3.8 第8次作戦
3.9 第9次作戦
3.10 第10次作戦
4 参考文献
5 脚注
6 関連項目
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連合艦隊からの報告ではレイテ沖海戦の戦果は空母7隻を撃破というものだった。先に行われた台湾沖航空戦の戦果報告もふまえアメリカ軍兵力は正規空母3隻、他に護衛空母等であろう、と海軍部の判断は楽観したものになった。これを受け陸軍も困難ではあるが戦局は日本側に有利と見ていた。そこで大本営は第1師団、第26師団、第68旅団をルソン島からレイテ島へ増援し、レイテ島で連合軍を一気に打ち破ろうと計画した。
1944年(昭和19年)10月29日、レイテ島増援輸送作戦(多号作戦)が発動される。この計画は第2次と第3次作戦からなり、10月下旬から11月上旬までに実施、レイテ島の米軍飛行場が本格始動する前に速やかに輸送作戦を行うことを考えていた。なお作戦発動前にレイテ増援第1陣としてミンダナオ島カガヤンからの増援を既に行っていた。第2次作戦では第1師団のレイテ島オルモックへの輸送に成功した。
11月4日に改めて第3次作戦から第7次作戦までが発令された。この計画では第3次作戦で主に兵站部隊を、第4次作戦で第26師団を輸送し、第5次作戦以降は第68旅団を輸送する計画だった。第3次作戦は船団が全滅し失敗、第4次作戦は人員の輸送のみ成功だった。そこで第5次以降は軍需品の輸送に切り替えられた。またマニラ空襲や本作戦での喪失により護衛に使える駆逐艦は桑、竹のみという厳しい状況となっていた。第5次作戦は失敗、第6次作戦は一部揚陸に成功するも船団全滅、第7次作戦はほぼ成功した。
12月7日にアメリカ軍はオルモック南部に部隊を上陸させオルモック市内を目指した。そのため第8次作戦は揚陸地を変更、第9次作戦では陸上戦の中を強行揚陸という形となった。
第10次作戦も計画されていたが、12月13日にルソン島へ向かうアメリカ軍の上陸部隊が発見された(実際にはミンドロ島に上陸)。これを受け陸軍第14方面軍は輸送予定部隊をルソン島に配備した。14日に海軍側も第10次作戦の中止を決定し多号作戦は終了した。
赤字の艦は作戦中の喪失を表す。
第1次輸送
第16戦隊:青葉、鬼怒、浦波
第1輸送隊:輸送艦第6号、9号、10号
第2輸送隊:輸送艦第101号、102号
レイテ島への増援第1陣はカガヤンからの2個大隊、2000名強であり、この輸送任務は第16戦隊の青葉、鬼怒、浦波の3隻に命じられた。