オペル(Opel、正式社名:アダム・オペル、Adam Opel GmbH)は、ドイツ・リュッセルスハイム(Russelsheim)を本拠とする自動車メーカーである。
1929年以降はアメリカ合衆国・GM(ゼネラルモーターズ)の100%子会社であり、同社の欧州におけるビジネスを担っている。
目次
1 概要
2 日本での販売
3 海外展開
4 車種一覧
4.1 現行生産車種
4.2 かつての生産車種
5 関連項目
5.1 人物
6 外部リンク
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創業者はアダム・オペル(1837年-1895年)。ミシン、自転車の製造を経て、創業者没後、5人の息子達によって1899年に自動車製造を開始。ルッツマンやフランスのダラック車をライセンス生産して技術を修得し、1902年に独自開発車を完成(一方でモーターサイクルも製造したが、後年に事業をNSUに売却している)。この後、大衆車「ラウフプロッシュ(『雨蛙』。シトロエンから設計が酷似していると訴えられた)」等の成功でドイツ国内の大手自動車メーカーとなるが、アメリカ資本流入が激化した1931年、GMの完全子会社となった(第二次世界大戦中にGMはナチスの圧力で権利を放棄し、「ブリッツ」トラック等を製造していたが、1948年にGMが権利を回復した)。
大戦後、競合するフォルクスワーゲンのVWビートルの対抗車を永らく出現させていなかった。1962年、新設のボッフム工場生産で新型「カデット(『士官候補生』。戦前にあった名称の復活)」を登場させ、ビートルと熾烈な競争を展開した。このカデットは、FRの極常識的な設計ながら、手頃な価格や広い室内とトランク、信頼性の高さで人気を得た。以後、オペルは中型車「レコルト」とその上級仕様「コモドーレ」、大型車「アドミラル」/「ディプロマート」も擁し、ヨーロッパ有数の自動車メーカーに成長した。
1970年代、親会社GMは自身が進めていた『一つのプラットフォームから、世界中で販売出来る車種を設計する』"ワールドカー"(世界戦略車)構想の開発基地としてオペルを抜擢した。その流れから、"Tカー"として構想された第3世代のカデット(通称:カデットC)はいすゞ・ジェミニや「シボレー・シェベット(アメリカとブラジルでは仕様が異なる)」などのバリエーションを登場させた。
1980年代、日本のメディアに「日本車の刺客」とアメリカで騒がれたシボレー・キャバリエ等と血縁関係にあったのが1983年"Jカー"として登場したアスコナの第3世代(アスコナC)であり、この日本版はいすゞ・アスカである。イギリスでは、オペル車の一部が、同じくGMの完全子会社であるヴォクスホールのブランド名で販売されている。
第二次世界大戦前の時期においては、1927年(大正10年)に大阪市大正区に工場と共に設立された日本GM社が販売を行った。
同大戦の勃発に伴い、同社と同工場は1941年に閉鎖となった。同大戦後には、1950年代から東邦モーターズが販売していた。戦後には堅実なブランドとして一定の支持を集め、「お医者さんが乗るクルマ」というイメージで受け止められていた。1970年代には、日本の排気ガス規制をクリアできないため輸入が中断され、1980年代前半に再開された。1980年代後半からは、ゼネラルモータースグループであったいすゞ自動車が輸入を行い、1993年からヤナセが輸入権を獲得し、大量に販売された。2000年頃から日本ゼネラルモーターズが輸入を行っていたが、販売台数の低迷から2006年で輸入販売を停止している。
1995年にはコンパクトカー、ヴィータを発売し、エアバッグやABSなどを装備し、輸入車としては低価格だった150万円台から販売されたことから爆発的なヒットを記録した。また、同年には自動車メーカーとして初めて日本語の公式ウェブサイト(www.opel.co.jp)を開設した(日産自動車がオペルに続いた)。ヤナセの販売力と低価格を背景にオペルの販売台数は急増した。しかし、故障が多いことがユーザーに知られるようになると、販売台数は急減した。
2001年、日本での直営ディーラー網を築こうとしたゼネラルモータースは、独自の販売網であるGMオートワールドズを設立。オペルの販売を巡ってヤナセとの間に確執が生じた。ゼネラルモータースは、タイで現地生産されているザフィーラを富士重工業に供給。タイ製ザフィーラは、スバル・トラヴィックの名称で、ヤナセで販売されるザフィーラより低価格で販売された。ヤナセはオペルから他社ブランドに販売の力を移し、オペル取扱店を削減した。いっぽう日本ゼネラルモータースは販売網の確立に失敗し、結果的にオペルの販売台数は激減した。ゼネラルモータースは低価格モデルヴィータの輸入を打ち切り、それまでの低価格路線を変更して価格を値上げした。ベンツやBMWに価格帯が近づいたことで、オペルの販売台数はさらに低迷。故障が多く修理費用も割高であること、中古買取価格の低さなどが消費者に認知されるようになったこと、またオペルはフォルクスワーゲン、ベンツやBMWに比べると地味であり高級感に劣り、プレミアム性に欠ける点があり、90年代半ばまでは輸入車というだけでプレミアム性を感じていた日本のユーザーたちも目が肥えるに従って、感じなくなったこともあって(サターンの日本市場撤退、ヒュンダイやフォードの販売不振の原因も同じだといわれている。