エルジン・ベイラー
名前
本名エルジン・ガイ・ベイラー
愛称ビル
カタカナエルジン・ベイラー
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
誕生日1934年9月16日
出身地アメリカ・ワシントンD.C.
身長196cm
体重102kg
選手情報
在籍チームロサンゼルス・レイカーズ
ポジションスモールフォワード
背番号22 (永久欠番)
■Template(■ノート ■使用法)■バスケットボールpj
エルジン・ガイ・ベイラー(Elgin Gay Baylor, 1934年9月16日 - ) はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手であり、元ヘッドコーチである。選手時代はスモールフォワードとして1960年代のロサンゼルス・レイカーズの活躍を支えた。1977年にバスケットボール殿堂入りした。
目次
1 経歴概観
1.1 カレッジ時代
1.2 NBA時代
1.3 コーチ、ゼネラルマネージャー経歴
2 トリビア
3 成績および受賞歴
3.1 通算成績
3.2 主な受賞トピックス
3.3 主な記録
4 関連項目
5 脚注
6 外部リンク
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ベイラーはワシントンD.C.の貧しい家庭に生まれ、地元のスプリングハム高校を1954年に卒業した。大学は2年間アイダホ・カレッジ(現代のアルバートソン・カレッジ)に通いゲーム平均31.3ポイント、18.9リバウンドの記録をマークする。その後、彼の素質に眼を付けたシアトル大学に入学し、バスケットを続けた。1958年にはオールアメリカ・ファーストチームに選抜され、NCAAのチャンピオンシップゲームにまでチームを率いた。その年にはNCAAトーナメントのMVPにも選ばれている。
卒業後ベイラーは1958年のNBAドラフトでミネアポリス・レイカーズに全体1位指名で入団する。彼は1年目から期待通りの活躍をみせた。ゲーム平均24.9ポイント、15.0リバウンドをマークし、レイカーズのNBAファイナル進出に貢献しルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出される。1ゲームで55得点する試合もあった。またNBAオールスターゲームではMVPも受賞している。
翌年以降もベイラーは活躍をみせプレーオフ常連となっていたレイカーズの大きな原動力となった。1960-61シーズンは平均34.8ポイント、19.8リバウンド、1961-62シーズンは38.3ポイント、18.6リバウンド、1962-63シーズンは34.0ポイント、14.3リバウンドと高いアベレージをマークする。 しかし、1963-64シーズン以降ベイラーは膝の故障に悩ませられ続けた。このシーズン以降平均得点も30点以上をマークすることはなくなり、1972年に引退をする。 チームもプレーオフの常連であったが、どうしてもボストン・セルティックスの壁を破ることが出来ず、ベイラーは最後まで優勝を経験する事が出来なかった。
1977年に殿堂入りを果した。また1980年にNBA35周年記念のオールチームに選出され、1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出されている。
引退後、1974年にベイラーはニューオーリンズ・ジャズにコーチとして就任する。しかし、コーチとしての実績はあげることができず、1975年から1979年までの4シーズンを率いたが86勝135敗勝率.389という成績で終わった。[1] コーチ引退後は、1986年にロサンゼルス・クリッパーズに副社長として就任した。2005-06シーズンにクリッパーズはチーム史上2位の勝率を記録し、ベイラーはエグゼクティブ・オブ・ザ・イヤーを受賞した。