エルサレム神殿
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エゼキエル書の挿絵フランチェスコ・アイエツ『エルサレム神殿の破壊』

エルサレム神殿(エルサレムしんでん)は、古代エルサレムに存在したユダヤ教の礼拝の中心地。唯一の神の聖所であり、アロンの家系の祭司とレビ人と呼ばれるレビ族出身の非祭司階級が祭祀に当たった。

歴史的には、紀元前10世紀ソロモン王が建設した神殿(第一神殿)、バビロン捕囚からの解放後の紀元前515年にゼルバベルの指揮でほぼ同じ場所に再建された神殿(第二神殿)、紀元前20年ヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿(ヘロデ神殿)がある。神殿はユダヤ戦争においてユダヤ人が立てこもったため、紀元70年ローマ帝国軍の攻撃によって破壊された。現在「嘆きの壁」と呼ばれる部分は、このヘロデ神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分であり、ユダヤ人は「西の壁」と呼んでいる。この部分を含め外壁はその基礎部分がほぼすべて残されている。


歴史

旧約聖書の『列王記』、『歴代誌』によれば初めソロモン王により創建された。これは紀元前10世紀のことと推定される。

ユダ王国がバビロニアにより滅亡したのち衰微するが、ペルシア帝国のもとでユダヤ人の帰還が許され、神殿も再建された。この再建の背景にはキュロスが征服民に寛容な政策を取り、かれらに文化上・信仰上の自由を許すことが帝国の安定に寄与すると考えたことが関わっている。

再建された神殿はユダヤ人の信仰の中心であったが、祭司出身者であるレビ人マタティヤ・ハスモンによるハスモン朝が成立してユダヤが独立すると、ユダヤの神権政治の中心ともなった。なお、レビ人とは、モーセとその妻チッポラ(日の本)の子ゲルションの子孫をいう。

後に神殿は紀元前1世紀にイドマヤ出身(エドム人の改宗者)のヘロデ大王によって拡張され、その王宮と回廊で結ばれた。ヘロデ大王により拡張された神殿は、それ以前と区別してヘロデの神殿とも呼ばれる。

そのヘロデ大王がハスモン朝最後の王位継承者であるアリストブロス王子とアレクサンドロス王子を処刑して77年目、レビ人は、復讐として、神殿に立て篭もるユダヤ人を兵糧攻めにし、投降者を見せしめとして十字架に張りつけて処刑し、さらに第6月8、9、10日には神殿に火を放ってユダヤ人を燔祭ホロコーストした。当時徴税人が多かったレビ人は、ユダヤ人に対してローマ帝国からの独立をけしかけてユダヤ戦争引き起こし、一方でローマ軍と同盟して、ユダヤ人を神殿の生贄として生きたまま焼き、それらの一連を、永久に原罪を贖うための儀式とした。それは、後のキリスト教暦の主の起源(AD)から70年のこと。この戦争におけるエルサレム神殿の様子は、レビ人であるベン・マタティヤ、後のフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』に詳しく著され、ユダヤ人を十字架刑にした解釈は、AD70年前後に発行された神殿否定派のイエスの福音書に詳しい。 そして、戦争が終わるとエルサレムの市街ともどもローマ帝国によって破壊され、エルサレムと神殿はもはやユダヤ教の信仰生活の中心ではなくなった。

ローマ皇帝ハドリアヌスはもとのエルサレムに植民市アエリア・カピトリーナをおいたが、そこにユダヤ人が入ることは禁止された。のちユリアヌスの治下で再建が図られたが実現せず、再建の計画は放棄されて今日に至る。

なお、現在のイスラエルユダヤ教の右派には、岩のドームを壊しての神殿の再建を計画しているグループがいる。


関連項目

幕屋

至聖所

契約の箱

広島市への原子爆弾投下

カテゴリ: 長崎原爆 | イスラエルの考古遺跡 | 古代イスラエル・ユダ | エルサレム | ユダヤ教

更新日時:2008年7月20日(日)16:52
取得日時:2008/07/22 19:53


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki