エフード・オルメルト
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イスラエルの政治家
エフード・オルメルト
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エフード・オルメルト
生年月日1945年9月30日(62歳)
出生地ビンヤミナ
所属政党カディマ(2005 - )
リクード(1973 - 2005)
第12代首相
内閣オルメルト内閣
就任日2006年5月4日
2006年1月4日(首相代行)
大統領シモン・ペレス(2007 - )
モシェ・カツァブ(2000 - 2007)
第25代 ⇒財務大臣
内閣アリエル・シャロン内閣
就任日2005
退任日2006
 ・編・歴 
アメリカライス国務長官(中央)、
パレスチナアッバース大統領(右)と会談。
(2007年)

エフード・オルメルト(ヘブライ語: ???? ???????、1945年9月30日 - )は、イスラエル政治家首相(第12代)、国会議員(7期)、カディマ党首(第2代)。
目次

1 略歴

2 関連項目

3 脚注

4 外部リンク

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略歴

1945年9月30日イギリスの委任統治下にあるパレスチナに生まれる

ヘブライ大学心理学哲学法学を勉強した後、法曹界へ入る

1973年、イスラエル議会(クネセト)総選挙にリクードから立候補し28歳で当選、その後7期にわたってクネセトで活動

1988年 - 1990年、無任所大臣(国務大臣);マイノリティーの問題を扱う(在任期間:2年)

1990年 - 1992年厚生大臣(在任期間:2年)

1993年 - 2003年エルサレム市長(2期在任)

オルメルトはシャロン同様、リクード内で強硬派に属していた。
エルサレム市長の職にあった1997年には東エルサレムのハル・ホマ地区に大規模な入植地建設を、当時首相だったベンヤミン・ネタニヤフと共に推し進めている。そのオルメルトを豹変させたのが、パレスチナに融和的な夫人の影響だったと言われる。夫人は、最左派であるメレツの支援者であり、夫が首班候補として戦った2006年の総選挙を除けば、それまでは全てメレツに投票している。

また、オルメルトはリクード内の強硬派を代表するネタニヤフとはかねてよりソリが悪く、若くして共に将来を嘱望されていたことからお互いをライバル視しており、犬猿の仲として知られる。

2003年からはクネセトに戻り、総選挙の指揮、選挙後の連立交渉を行い、選挙後は副首相 兼 産業貿易労働大臣に任命された。以来、アリエル・シャロン首相の最も忠実な側近として政権運営の主軸となる。


2004年2月、シャロンが、これまでの強硬姿勢を一変させガザからの全面的な軍の撤退・全入植地の撤去一方的婚約解消計画をぶち上げるが、このシナリオを書きシャロンに進言したのが、オルメルトと官房長官のドブ・ヴァイスグラスである。

リクード内では撤退への風当たりが強く、倒閣運動にまで発展するが、オルメルトは反対派を一人一人切り崩して行き2004年10月には辛くも国会を通過させるにいたる。

2005年4月外務省の招待で来日。

2005年8月、ガザからの撤退に抗議し財務大臣を辞任したネタニヤフの後任に任命される。

2006年1月、アリエル・シャロン首相が脳卒中で倒れた後に、首相代理および新党カディマの党首代行を務める。

2006年5月4日、総選挙の結果を受け首相に就任。

2006年7月ヒズボラによるイスラエル兵拉致を受けレバノンへの侵攻を決意、レバノン侵攻が始まる。同じ頃、小泉純一郎首相(当時)がイスラエルを訪問し首脳会談を行っていた。

2006年9月4日、国会の外交・防衛委員会でヨルダン川西岸からの追加撤退を無期限凍結。

2006年12月、ヨルダン渓谷に新規・入植地建設を表明。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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