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エド・ゲイン(Ed Gein、本名はエドワード・セオドア・ゲイン〈Edward Theodore Gein〉、1906年8月27日 - 1984年7月26日)は、アメリカ合衆国の犯罪史を代表する猟奇殺人事件の犯罪者である。人間の死体を使って、ランプシェイドやブレスレットを作ったことで知られる。本人によると、自分の名前の正確な発音は「エドワード・ギーン」であるというが、本項名であるエド・ゲインのほうが一般的である。
目次
1 来歴・人物
1.1 母の教育
1.2 母の死後
1.3 裁判・その後
2 影響を与えた作品
3 参考文献
4 外部リンク
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1906年8月27日、エドワード・セオドア・ゲインは、父ジョージと母オーガスタの次男として生まれた。エドには、ヘンリーという兄が1人いた。エドは幼い頃から厳格なキリスト教による戒律を受けてきた。エドが後に及んだ犯行の間接的な要因として、母親オーガスタ・ゲインの倒錯的な教育があげられる。オーガスタは、敬虔なルター派の信者一家に生まれた。彼女の父親は狂信的な人物で、躾が厳しいことに加えて、体罰も施した。この影響で、オーガスタは父の性格を受け継いだ性格の人間になった。自分の正しさを信じて疑わず、それを他人に押し付ける独善的な人物となった。夫のジョージに対しては、「役立たず」と罵るのが常だった。さらに、「妊娠以外の目的での性行為」を硬く禁じており、家庭内には常に見えない緊張感が漂っていた。彼女は性行為を心の底から嫌悪していたのである。ジョージはアルコール依存症であり、酒が入ると妻の罵倒に対して手を上げることもあったため、悪態をついてひたすら夫の死を祈った。彼女は最終的に2人の子供を儲けた。彼女は女児を望んでいたが、生まれたのは男児であった。
ゲイン家は人里離れた場所に農場を構えた。オーガスタにとっては、外の世界のあらゆる存在が「悪徳」と「堕落」であった。彼女はプロテスタントの信仰に由来する異常な性教育を、息子たちに施した(男性器を「悪の象徴」とし、全ての堕落と頽廃の源であると教え、息子たちに、自分の性器に唾を吐くことを強要した)。大雨が降るたびにノアの方舟の話を聞かせ、「世界の終わりが来た」と語り聞かせた。「淫らな服装をして男たちを誘う女だらけのこの世は腐りきっており、近いうちに神が世界を破滅させるだろう」という終末論も聞かせて、兄弟2人を恐怖に陥れた。「他者は穢れているから一切関わるな」「若い女は不潔で汚らわしく、堕落していて邪悪な存在だ。女たちには指一本触れるな」として、女性との関わりや、友達を作ることを一切禁じた。そのようなことになれば、家の中に「悪が侵入する」と警戒していた。そのため、人が社会生活や人間関係を学ぶ最も重要で多感な時期に、エドは充分な対人関係の構築方法を学習できなかったとされる。息子たちには、父のようになってはならないと言い聞かせ、自分が彼と暮らしたためにどれほど不幸になったかを語り、息子たちにも父の死を祈らせた。オーガスタの歪んだ教育によって、エドは幼くして分裂症の兆候が見られるようになった。同年代の子供とほとんど話すことができなかったエドは、卑猥な話を聞くと真っ赤になって逃げ出し、些細な嘲弄を受けてもたやすく泣き出すのであった。オーガスタは、「どうしても肉欲に抗えないときは、姦淫よりも自涜の罪のほうを神はお許しになる」と言った。しかし、これは「生めよ殖えよ、地に満ちよ」という旧約聖書の教えに明らかに反している。
エドの兄・ヘンリーは、エドが42歳のときに、近所の山火事を食い止めようとして死んだとされているが、死体はほとんど焼けておらず、頭部には傷があった。父のジョージは1940年に66歳で心臓発作で死亡し、その4年後にオーガスタは病に倒れた。エドは母を看病するが、翌1945年に死亡する。エドは葬儀の場で大泣きした。母の死後、エドは母の部屋を聖地として封印し、母が暮らしていた状態に保存した。絶対的な影響力を持つ母親の死後、エドを待っていたのは完全なる孤独であった。エドは時折、近隣の社会活動に参加していた。物静かで礼儀正しく、汚い言葉も使わないエドは、隣人たちに嫌われていたわけではなかった。酒は飲まず、ほとんど家に閉じこもって暮らしていた。エドは、近所の人間からは「変わり者だが人畜無害」な存在と見られていた。
だが、エドは次第にオカルト、解剖、死体への性的執着、カニバリズムを現していった。母の歪んだ教育によって、自分の男性器を切り落したいという思いを抱いたこともあったが、それは、墓場にある死体を持ち出して性交したり、また解体するなどの行為として顕現した。満月の夜に、切り取った女性器に自らのペニスをくるみ、乳房のベストを身に付け、女性の頭皮を被って農場内を歩いたり、剥いだ皮膚を張った太鼓を肩から吊るして、人骨のばちで叩き鳴らしたりした。映画『エド・ゲイン』にもこの描写があり、エドが好んでいたとされる。
1957年11月16日、ゲインは近くに住む女性バーニス・ウォーデンを殺害した容疑で逮捕された。家宅捜索では全部で15人の女性の死体が見つかり、どれも解体されていて、一部はベスト(チョッキ)や食器・家具に加工され、また一部は食用として保存されていた。当時、ゲインの家には電気が引かれておらず、大量のごみで溢れかえっていた。ゲインは、死体は8人分で、すべて墓場から掘り起こしたものだと裁判で主張した。1954年には、バーの経営者マリ・ホーガンを射殺し、死体をそりに乗せて自宅に運んで解体している。実際に彼がこの事件で殺したのはその2人(ウォーデンとホーガン)であった。
ゲインは、解体・加工を行う上での知識と技術、さらに人間の体を徹底して材料として扱う冷徹さを持っており、盗み出した遺体をたやすく解体していた。だが、ゲインは屍姦は否定しており、「女の体の仕組みが知りたかった」と答えた。ゲインは、母オーガスタを死ぬまで崇拝し続けた。墓から中年の女性を掘り起こしたのは、「母に似た」女性を探すためであり、母への愛情でもあった。
裁判では、慢性的な精神障害(性的サイコパス)として無罪になったが、「重度の精神病患者」として、刑務所ではなく、ミネソタ州立精神病院に収監された。その後は精神病院で過ごし、1984年7月26日、癌による呼吸不全で死亡した。