エトルリア(Etruria)は、紀元前8世紀 - 紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群。各都市国家は宗教・言語などの面で共通点があり、統一国家を形成することはなかったものの、12都市連盟とよばれるゆるやかな連合を形成し祭司・軍事で協力することもあった。
古代ギリシアや古代ローマとは異なる独自の文化を持っていた。当時としては高い建築技術を持ち、その技術は都市国家ローマの建設にも活かされた。王政ローマの7人の王の最後の3人は、エトルリア人である。
ヘロドトスによれば、エトルリア人は小アジアのリディアからこの地にやってきたと言う。一方、ハリカルナッソスのディオニュシオスは、エトルリア人はイタリア古来の民族だと述べている。現在の調査では正式にはエトルリア人が小アジアの出自である事を直接結び付ける証拠はない。しかしながら、ある調査ではエーゲ海のレムノス島では紀元前6世紀までインド・ヨーロッパ語ではない民族が居住していた跡が見られ、その民族の言語がエトルリア人と似ている事が指摘されている。
またエトルリア人は海を往来する民族でもあり、古代地中海世界での至るところからその存在が記述されている。一説には古代エジプト第20王朝に記述のある「海の民」はエトルリア人ではなかったかとも言われている。
紀元前4世紀、ローマの勢力が強くなると、端の都市から順に少しずつローマに併合され、最終的には完全にローマに同化した。紀元前87年ユーリウス法で、エトルリア人もローマ市民権を得ている。
その名前は近世イタリアのエトルリア王国や現代イタリアのトスカーナ州(「エトルリア人の土地」の意)や、ティレニア海(「エトルリア人の海」の意)として残っている。
独自のエトルリア語を使っていた。エトルリア語はアルファベットで記述されているので文字を読むことはできるが、意味はすべては解読されていない。
エトルリア人はインド・ヨーロッパ語に関連する言語は話していなかったと考えられている。最近の研究では、エトルリア社会ではエトルリア語とフェニキア語の二言語が日常的に使われていた事がわかっているが、未だ解明からは程遠い。
関連項目
エトルスキ
エトルリア人
エトルリア語
エトルリア美術
ウィキメディア・コモンズには、 ⇒エトルリア に関連するマルチメディアがあります。
カテゴリ: 先史ヨーロッパ | エトルリア | 古代ローマ | イタリアに存在した国
更新日時:2008年6月9日(月)00:27
取得日時:2008/08/20 14:06