古代エジプトの王朝
王朝誕生前のエジプト
エジプト原始王朝
エジプト初期王朝
第1 第2
エジプト古王国
第3 第4 第5 第6
エジプト第1中間期
第7 第8 第9 第10
エジプト中王国
第11 第12
エジプト第2中間期
第13 第14 第15 第16 第17
エジプト新王国
第18 第19 第20
エジプト第3中間期
第21(並立:アメン大司祭)
第22 第23 第24 第25 第26
エジプト末期王朝
第27 第28 第29 第30 第31
グレコ・ローマン時代
アレクサンドロス大王
プトレマイオス朝
エジプト属州
エジプト初期王朝時代(紀元前3100年頃 - 紀元前2686年頃)は、古代エジプト史学(エジプト学)における時代区分の1つである。エジプト第1王朝、並びにエジプト第2王朝の時代が初期王朝時代に区分される。
目次
1 概観
2 初期王朝時代の遺跡
2.1 墓地
2.2 ナルメル王の化粧板(ナルメル王のパレット)
2.3 パレルモ石
3 関連項目
4 注
5 参考文献
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エジプト第1王朝の王ナルメル(あるいはメネス[1])によって上下エジプトが統合された事から始まる初期王朝時代は、確認される限りにおいて上エジプトと下エジプトが始めて同一の政治権力によって統一され、統一王朝としての王権理念、政治体制等が確立されていく時代である。
エジプト原王朝時代の上エジプト王は、自らがホルス神の化身である事を表すホルス名を用いた。ホルス名を使用する伝統は初期王朝時代に入っても継続されたが、統一されたエジプトでの正当な王権を示すため、やがてホルス名に加えて第二の名、ネブティ名(二女神名)が王名に加えられた。これは王が上エジプトの守護女神ネクベトと、下エジプトの守護女神ウアジェト双方の化身であることを示す名前である。更に、第1王朝の第5代王デンの時代にはネスウト・ビティ名(上下エジプト王名)が加えられ、一体性を持つ政治世界としての「エジプト」が形成されて行くとともに、各王は神の化身という立場をとることで統治の正統性を確立することに努めた。
現実には初期王朝時代の初期の王は、上エジプトの首長の中で最有力の者であるに過ぎないものであり、現実に「神の化身」である「神王」の地位に相応しい政治権力を獲得することに腐心した。第1王朝時代に新たにメンフィスという都が建設されているが、その意図するところは、上下エジプトを統合する新しい拠点を築くことであると同時に、他の有力首長の影響力を弱めるためであったと考えられている。王名には一時期、ホルス名にかえてセト名が用いられた事もある。これは王権強化に反対する上エジプトの有力首長が、セト信仰を拠り所として王権と敵対したとも、下エジプトと上エジプトの社会対立によるものであるとも言われている。やがて王名にホルス名を用いることが定まり、古代エジプト歴代王朝の根幹を成す王権理念、官僚制、税制などが確立して行き、ピラミッド時代とも呼ばれるエジプト古王国時代を迎えることになる。
マネト[2]の記録によれば、エジプト第1、第2王朝の王達には「ティニスの」という形容詞がつけられている。