ウイグル族
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ウイグル人(ウイグル語:?????? Uyghur)は、主に中央アジアタリム盆地に居住する民族。人口は1千万人弱。テュルク諸語ウイグル語を話すムスリム(イスラム教徒)で、伝統的にはオアシスに定住して農耕や商業に従事する。ウイグル人の居住地域はウイグル語で東トルキスタン(Sh?rqiy Turkistan)あるいはウイグルスタン(Uyghuristan)と呼ばれるが、現在は中華人民共和国新疆ウイグル自治区となっており、大多数のウイグル人は中国の少数民族として維吾爾(?吾?, W?iw?'?r)族と呼ばれている。また、カザフスタンやキルギスタン、ウズベキスタンなどにも少数居住する。これらの大多数は、19世紀後半以降、中国の支配を嫌って移住した人々の子孫である。

古代のモンゴル高原で活動したテュルク系遊牧民の回鶻(ウイグル)と、古代にタリム盆地に居住していたインド・ヨーロッパ語族の言語を話す諸民族を祖先とするとされる。人種的にはモンゴロイドとコーカソイドの混血といえるが、個人差も大きく、見ためは漢族と区別がつきにくい者もいる。
目次

1 民族名の起源

2 歴史

2.1 前史

2.2 20世紀


3 文化

3.1 宗教

3.2 文学

3.3 音楽

3.4 舞踊


4 弓

5 関連項目

6 外部リンク

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民族名の起源

ウイグル人の祖先たちを含め、東西トルキスタンオアシス都市の住民たちは、固有の民族名称をもたず、異教徒に対してはムスリム、よそものに対してイェルリク(土地の者)という意識を持つにとどまっていた。しかしロシア革命により成立したソビエト政権は、民族政策として「民族別の自治」を掲げ、西トルキスタンでも、遊牧諸集団やオアシス都市の定住民たちに対し「民族的境界区分」が施され、諸民族が「創出」されていった。西トルキスタンには、1881年のロ清イリ条約の締結の際にロシア領に移住したタリム盆地出身者が多数おり、彼らは1921年カザフスタンアルマトイにおいて、古代のウイグルという呼称を復活させ、自らこれを名乗ることを決定した。この呼称は中国統治下の東トルキスタンにも次第に知られるようになり、従来より当局が用いていた「?回(ぼくかい)」という呼称を「ウイグル」に改めるよう求める運動がおこった。この改名運動は、盛世才政権のもとで受け入れられ、1934年、省府議会が正式にこの呼称を採用、「維吾爾」という漢字表記もこの時に正式に確定し、現在に至っている。

ウイグルとは、団結、連合の意味がある[要出典]。


歴史

詳細は新疆ウイグル自治区#歴史新疆省東トルキスタン共和国をそれぞれ参照

北アジアの古代遊牧民族としてのウイグルおよびその末裔による諸政権の歴史についてはウイグルを参照


前史

15世紀前半 - タリム盆地のオアシス諸都市、オイラトの支配下に。

17世紀 - タリム盆地のオアシス諸都市、 ジュンガル部やホショト部の支配下に。

17世紀中の中国史料に「黄頭ウイグル」の名で、東トルキスタンの地の遊牧民として登場


1758-1759 - 清の乾隆帝による「回部」(=東トルキスタン)征服東トルキスタンは新疆(「新たなる領土」)と名付けられ清朝の支配下に服す。


20世紀

1912 - 辛亥革命

1931 -1933 東トルキスタンのイスラム教諸民族の抗中蜂起

1933 -1934 東トルキスタン・イスラム共和国(第一次)

1934 - 「ウイグル(維吾爾)」の民族呼称が正式に定められる。

1944 - 東トルキスタン共和国(第二次)建国を宣言。

1949年10月 中華人民共和国の成立。中国共産党は東トルキスタンを“平和解放”。

1955 - 中国で2番目の自治区 新疆ウイグル自治区となる。その後、漢族移住者の増大、中国の改革・開放政策のもとでの経済格差の拡大、ソ連崩壊と中央アジアの隣接する民族国家の独立、イスラムの影響力などの要因により、西蔵自治区(1965年成立)と共に中国内で最も大きな民族問題を抱える。

詳細は東トルキスタン独立運動を参照


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki