ウィル・ライト(Will Wright、1960年1月20日 - )はアメリカのゲームクリエイター。
シムシリーズの生みの親として知られ、斬新な視点でシミュレーションゲームを常に作り出すクリエイターとして世界中にファンが多い。
目次
1 来歴
1.1 幼少期
1.2 教育
1.3 ゲームデザイナー
1.4 シムシリーズのゲーム構想
2 ウィル・ライトの作品一覧
3 Dr.ライト
4 脚注
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1960年、ジョージア州アトランタに生まれ、9歳まで過ごす。父親ビル・ライトは、ジョージア工科大の卒業生で、プラスチック・パッキング分野の起業家で、1960年代初期に設立した会社を成功させている。母親のビーバリーはアマチュア・ミュージシャンで、女優。
ライトは、地方のモンテッソーリ教育を受けている。その時期に、クリエイティビティの重要さ、問題解決、セルフモチベーションといったことを楽しんだことが後のゲームクリエイターとしての人生に影響を与えたことを認めている。
「モンテッソーリは私に発見の喜びを教えた。たとえば、ブロック遊びでもって、ピタゴラスの理論のようなかなり複雑な理論に興味をもつようにしてみせた。それは、教師が何かを説明するということではなく、自分自身の視点から学ぶことを教えてくれた。シムシティはモンテッソーリから来ている」[1]
ライトは後に、自分自身を振り返って「自分は偏執狂である」と語っている。「僕は、しょっちゅう、何かしらのテーマとか領域について夢中になってしまうんだ。自分がそれについて全て学んだぞって思うまでの半年なり、一年ぐらいの間ね。」[2]
子供の頃は、模型作りに夢中で、船、車、飛行機から様々なものをつくっていた。10歳のときには、USSエンタープライズのデッキの木製スケールモデルを作っていた。ライトはのちに、こうした少年時代の経験が彼のゲームデザインのビジョンとして形になっていったと語っている。「ぼくは、いつも何かを作ることを楽しんでいた。それは子供の頃の模型作りからはじまって……思うに、ゲーム作りをはじめたとき、遊び手として次のステップに行きたかったのだと思う。だから、プレイヤーが何かをクリエイトできるように、そのためのコンテクストを与え、ツールを与える。」[3]
ライトは、父親と異世界の可能性や、NASA、星々といったものについて議論していた。当時の彼の夢は宇宙飛行士になることであり、人口過剰を救うためのスペースコロニー設立だった。父親もライトの夢に好意的だった。また、彼はアバロンヒルのボードゲームのファンであった。とりわけ、その傾向性を「ルール」という裁定者の形に落とし込んでいるというような部分を楽しんでいた。
だが、父親はライトが9歳のときに白血病で死んでしまう。それと共に母親の故郷であるルイジアナ州バトンルージュに移り住むことになる。
ライトは、地方の米国聖公会(Episcopal)系の高校に入学し、教師とディベートする機会を楽しんでいた。彼は無神論者の立場をとってディベートをしていた。だが、彼は総合的には従来の学校教育制度はモンテッソーリよりも劣っているという印象を持つことになった。彼は1994年に語っている「教育制度にはいつも何かしら幻滅させられるものがある。現在の学校教育制度が工場労働者をトレーニングするシステムに起源をもっていて、だから毎日8時間も同じようなことを繰り返しやるのが重要になっているんだ、というようなことを言っている人がいる。本当に面白くなっていくのは、任天堂世代の子供達が大きくなって学校の教師になる時だ。ぼくは、それは今までのどんな教育改革よりも大きな違いを生み出すだろうとぼくは思っている。」[4]
高校卒業して16歳のときに、ルイジアナ州立大学に入学。その後さらにルイジアナ工科大学へ。当初は建築学科だったが、続いて、機械工学科へ。そして、コンピュータとロボット工学へと熱中することになる。彼は彼が興味をもったものについては極めて優秀だった。建築学、経済学、機械工学、そして軍事史…。彼の少年時代のスペースコロニーへの夢は、ロボット工学へと接合されることとなる。そして、ルイジアナ工科大学へうつって二年後にマンハッタンのThe New Schoolと籍を移す。5年間の大学生活ではコンピュータとロボット工学に熱中し、学位は取得しなかった。また、大学の夏休みで、やがて妻となるジョエル・ジョーンズとも知り合う。彼女はカリフォルニアのアーティストだった。2003年のインタビューによれば、彼は当時ゲームが彼の時間の大半を吸収していて、それで彼はゲーム作りこそが進むべき道なのだ、と決めたという。
ブローダーバンド社にデザイナーとして勤め、1984年、コモドール64向けのヘリコプターゲーム『バンゲリングベイ』の開発に携わった。これがライトの事実上のデビュー作と言われる。その開発中にゲーム用地形マップの制作に面白さを見いだしたライトは、開発用のマップ生成ツールに改良を加え『シムシティ』の原型となる都市開発シミュレータを組み上げる。また、都市理論家のクリストファー・アレグザンダーや、ジェイ・フォレスターの仕事に影響を受けている。「ぼくはデザインのプロセスとストラテジーに興味を持っている。建築家のクリストファー・アレグザンダーの提唱したパタン・ランゲージは、いろいろな空間の関係性をデザインの法則として理論化してみせている。ぼくは、複雑なシステムの在り方に取り組んで、複雑なものを設計できるためのツールを作りたいんだ」[4]。ライトはタイムズのインタビューで、コンピュータは想像力の拡大をしていると信じていると述べ、それを「メタ・ブレイン」の出現である、と位置づけている。「そのメンバーの知性を利用する人間の制度/システムはどんなものもメタ・ブレインである。これまで、我々はメタブレインのニューロン間に摩擦があった。テクノロジーはその摩擦を大幅に低下させている。コンピュータはかつては、決してできなかった方法でもって我々の知性を集結させることを可能にしている。