「インターネット博覧会―楽網楽座」(インターネットはくらんかい―らくもうらくざ、通称インパク、英語名:Internet Fair 2001 Japan)とは堺屋太一経済企画庁長官(企画当時)の発案のもと日本政府のミレニアム記念事業の一環、また経済振興策として2000年12月31日から2001年12月31日まで1年間行われた、博覧会を模したインターネット上の行事である。現実のイベントも各地で連動して開催された。
目次
1 関わった主な人物
2 成果と批判
3 出典
4 関連項目
5 外部リンク
//
主催は総務省大臣官房管理室・新千年紀記念行事推進室。担当大臣は堺屋太一から、会期中に竹中平蔵経済財政政策担当大臣に引き継がれた。民間からの支援団体としてインターネット文化振興協会が設立され、理事長にトヨタ自動車会長(当時)の奥田碩が就任している。政府の用意したメインゲートの協同編集長には荒俣宏、糸井重里、八谷和彦、浜野保樹、石井竜也、栗山英樹、清水ちなみ、田口ランディ、5代目中村勘九郎、松井孝典があたり日本語、英語、中国語、韓国語でコンテンツが提供された。
最終的なパビリオンは507、トップページへのアクセスは5億3300万回を達成し地方自治体や高齢者など、これまでインターネットに関心がなかった層にITに対する認識を変化させる一定の成果を得たといわれる。
しかし万博で成功を収めてきた堺屋の当初コンセプトは巨大な経済効果を強く謳ったものであったことから、110億円もの税金が投入されながらそれに見合った効果が得られなかったとの批判は大きかった。
メインゲート(http://www.inpaku.go.jp/)は会期終了後約1ヶ月で削除され、自治体、企業参加のパビリオンもインパクの終了と同時に各企業のサイトから削除された。個人の参加によるサイトなど今でも閲覧することのできるものは数少なく、後世に残るコンテンツ作りという面でも当初のコンセプトは達成されなかったと言える。またパビリオン出展のためには国の審査が必要であったためパビリオン出展は法人が多く、個人出展などが少なかった。本博覧会を行ってどれだけの効果を得たのかを客観的に示した資料が乏しい。
「インパクによりITが広く認知されADSLやFTTHなどのブロードバンドの普及に弾みがついた」とする主張も存在するが[1]これにはまったく根拠がなく、むしろインパクの関連サイトの「重さ」を揶揄する言葉として皮肉的に用いられる場面すら見られた(当時のインターネット回線はまだブロードバンド回線の整備が追いついておらずナローバンドが主流であり、フラッシュや画像などがふんだんに使われたインパク関連サイトを「楽しむ」には能力不足であったため)。
⇒「みんなで学ぼうIT講座」は政府の用意したものの中でも珍しい、現存するコンテンツである。このコンテンツは当初「総理と学ぼう!やさしいIT講座」と題してIT革命を旗印に掲げインパクのCMにも自ら出演した森喜朗内閣総理大臣(当時)をキャラクターに起用したものだったが、2001年4月26日に森内閣が総辞職したことに合わせ一部内容を変更した。現在でもコンテンツの随所にその名残を見ることができる。
出典^ インパクのおかげで「インターネットカフェのブームが起こり、ブロードバンド技術の進化がもたらされ、ADSLの普及に繋がった。インパクは予想以上の成果を納めた」と評価した(堺屋太一内閣特別顧問、2001年12月19日) ⇒[1]。
関連項目
電通
インターネット1996ワールドエキスポジション ? インターネット博覧会と同様の行事。
桃井はるこ ? 黙認イメージソングと称する自作曲「インパク音頭」を歌った。
ザ☆ネットスター! ?2008年10月の放送で特集された。
外部リンク
⇒当時のメインゲート(インターネット・アーカイブ)
⇒インパク(アスキー デジタル用語辞典)
⇒ほぼ日刊イトイ新聞 - インパクを遊ぼうぜ
⇒永久保存版・インパクを笑え!
⇒インパクの“失敗”を総括する(@IT)
⇒インパク訪問日記
⇒インパクの跡地を巡ってみよう(Excite Bit)
カテゴリ: インターネットの歴史
更新日時:2008年10月4日(土)15:03
取得日時:2008/10/14 12:36