イラン進駐_(1941年)
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イラン進駐
戦争:第二次世界大戦
年月日:1941年 8月25日 - 1941年 9月17日
場所:イラン
結果:連合国軍の勝利
交戦勢力
イギリス軍
英国領インド軍
ソビエト連邦軍 イラン軍
指揮官
エドワード・クイナン
ドミトリー・コズロフ レザー・シャー・パフラヴィー
戦力
3個軍
2個師団、3個旅団 9個師団
損害
22人死亡、42人負傷2隻の軍艦が沈没、4隻が損傷、6人が死亡

第二次世界大戦中の1941年8月25日から9月17日まで行われたイラン進駐は、イギリスソビエト連邦によるものである。これは、カウンタナンス作戦(Operation Countenance、顔色作戦の意味)と呼ばれる。この侵攻作戦の目的は、イギリスの油田の安全確保と、東部戦線ナチス・ドイツに対して戦っているソビエト連邦に対する補給線の確保である。(ペルシア回廊を参照)
目次

1 背景

2 侵攻

3 戦後

4 関連項目

5 参考文献

6 外部リンク

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背景

第二次世界大戦前のイランはイギリスのアングロ・イラニアン石油会社がその石油生産の権限をほとんど握っており、一方的に価格を決定する状況となっていた。イランはイギリス領インドとソビエト連邦に挟まれる位置に存在しており、その両者に対抗する第三国に接近した。イラン皇帝レザー・シャー(Reza Shah Pahlavi)は、最初はアメリカ合衆国に接近するが、限定的な関係しか持てず、その後ナチス・ドイツに接近する。1941年6月のドイツのソビエト侵攻により、イギリスとソビエト連邦が連合国となった。これにより、イランは連合国にとって非常に重要な拠点となった。

アーバーダーンの油田は1940年で800万トンを産出し、連合国の戦争遂行においてきわめて重要なものであり、それがナチスの手に落ちることをイギリスは恐れた。また、ソビエトにとっても、イランは戦略的に重要な拠点であった。

1941年当時、ドイツ陸軍は順調にソビエト領内を進軍しており、連合国にとって、アメリカ合衆国が制定したレンドリース法による武器貸与をソビエトへ送る方法は非常に限られていた。ソビエトの北極海に面した港であるアルハンゲリスクムルマンスクへの輸送は、それらの港が不凍港であっても、大量の流氷や沿岸の氷結が物資の輸送を困難にしていたし、Uボートによる群狼作戦をはじめ通商破壊による損失も無視できなかった。そのため、南方のイラン経由での鉄道輸送は、これらの問題を解決してペルシャ湾経由の輸送ルートとしては非常に適しているものであった。イギリスとソビエト連邦の2つの連合国は、イランとシャーに圧力をかけていたが、これは緊張を増加させ、首都テヘランで親ドイツの暴動を引き起こすのみであった。レザー・シャーはイラン国内に居住するドイツ人の追放を拒否し、連合国に鉄道の使用を拒否した。この鉄道の使用の拒否は、上記の様な戦略的な意味で、1941年8月25日にイギリスとソビエト連邦にイランへの侵攻を開始させた。皇帝レザー・シャー


侵攻

この侵攻は、迅速にかつ容易に行なわれた。南からイギリス軍イラク司令部(イラク軍団として知られている)、これは、6日後にイラン・イラク司令部(パイ軍団)と改名されるが、エドワード・クイナン中将(Edward Quinan)の指揮下で前進した。パイ軍団は、第8インド歩兵師団と第10インド歩兵師団、第2機甲旅団、第9機甲旅団、第21インド歩兵旅団より構成されていた。ソビエト軍は北より、ドミトリー・コズロフ大将指揮下のザカフカース戦線の第44軍、第47軍、第53軍が侵攻した。 航空戦力と海軍戦力も戦いに参加した。ペルシア軍は9個師団を動員した。レザー・シャーは大西洋憲章の元、アメリカ大統領のフランクリン・D・ルーズベルトに訴えた。「閣下が何度もおっしゃっていた、国際的な正義と自由に対する人々の権利を守る必要があると言うご意見に基づいて・・。私は、これらの攻撃的な行為を停止するための、有効で緊急の人道的処置を取っていただけるように閣下にお願いいたします。この事件は、平和を維持し、国内の改革を行なうこと以外にやることの無い、平和で穏やかな国に、戦いを引き起こしました。」―8月25日の手紙。

しかし、以下に示すルーズベルトからの返答により、シャーの国をアメリカ合衆国大統領が救済する気が無いことから、嘆願は失敗に終わった。「この問題を全体的に見れば、皇帝陛下が直面している重大な問題のみではなく、ヒトラーの世界征服の野望による基本的な問題と考えられます。ドイツによる征服の動きは、軍事力で止めない限り、ヨーロッパからアジア、アフリカそしてアメリカへも広がっていくのは確実です。独立を維持しておきたいと言う国は、もし自分たちがヨーロッパの多数の国に生じたように、1国1国侵略されないとしても、大きな視野での努力を行なうべきというのは明確であります。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki