イコン(εικ?ν、Icon)とは、キリスト教において神や天使や聖人を記念し象徴として模られた絵や像で、敬拝(崇敬)(προσκ?νησι?)の対象とされるもの。形を意味する"εικ?να"(イコナ[1])に由来する。
"εικ?ν"をイコンと読むのは中世から現代までのギリシャ語による。古典ギリシャ語再建音ではエイコーン。ちなみに、英語の"icon"(アイコン)は、ギリシャ語のイコンに由来する。教会では聖像とも呼ぶ。
特に東方教会では平面の板に描かれたものや浮き彫りのものを用いるが、立像は用いられない訳ではない(但し極めて稀)。
目次
1 形像拒否
2 象徴モチーフ
3 イコン崇敬の全地公会議による公認
4 聖像の神学的意義
5 聖像の様式
5.1 古代
5.2 東方教会
5.2.1 正教会における、イコン画家とイコンの要件
5.2.2 現代の正教会のイコン
5.3 西方教会
6 注釈
7 主要な聖像画家
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク
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旧約聖書では神を描写することが禁止された。これを形像拒否といい、このためユダヤ教では神を絵に描いたり彫像に作ることを嫌った。イスラム教もまた同じ根拠で宗教美術に具体的形像を持ち込むことを避けた。しかしユダヤ教における形像拒否はイスラム教ほどには強くなく、ケルビムや十二体の牛の像などが、ソロモン王の建立した神殿に安置されたとする記述が、バビロン捕囚以後成立した列王記前書などに残されている。
初期キリスト教ではイエス・キリストや使徒たちの人物像を直接描くことは行われず、ユダヤ教美術や古代ローマ美術に共通する植物モティーフ、燭台などのユダヤ教由来のモティーフ、イエス・キリストと象徴的に結び付けられた羊・ぶどう・XPの組み合わせ文字などがもっぱら用いられた。しかしキリスト教信仰が解禁され、教会が公の施設として建てられるようになると、その内部装飾のための宗教美術は著しい発展を見せる。
ここで問題となるのは、イエスが神の子であると同時に神そのものであるという教説である。4世紀にはイエスが神であるという教説が正統教義として確立する(グノーシス主義ではこれを認めないため、異端とされた)が、神であるイエスを絵や像に描くことが教義上許されるかどうかという議論を呼び起こした。
730年には東ローマ帝国の皇帝レオーン3世がイスラム教の影響を受けて、イコン崇敬を禁じる勅令を発した(聖像破壊運動)。しかし、787年に第七全地公会・第2回ニカイア公会議によって、イコン崇敬は教義上認められた。全地公会では、イコン(εικ?ν)の崇敬(προσκ?νησι?)を、模像を通して原像を(δι? των χαρακτ?ρων τ? πρωτ?τυπα )礼拝する(λατρε?α)と定義している。
正教会では大斎第一主日をイコン崇敬の認知を記憶し、正教勝利の主日と呼ぶ。
聖像の神学的意義エジプトの聖マリアのイコン。17世紀にロシアで描かれたもの。中心に祈りを奉げるエジプトの聖マリアの姿が描かれ、周囲にその生涯についての伝承内容が左上から順に描かれている。
聖像破壊運動の焦点は聖像の使用がキリスト教教義と違背するかどうかにあった。 論点は大きく二つに分けられる。まず聖像使用が「偶像崇拝」に当たるかどうかであり、第二に聖像使用において(仮に偶像崇拝に当たらないとしても)「神を描くこと」が可能かどうかである。
旧約聖書での形像禁止は、精確には「偶像を崇拝すること」である。