イオアンナ_(ブルガリア王妃)
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ブルガリア王妃イオアンナ

ジョヴァンナ・エリザベッタ・アントーニア・ロマーナ・マリーア・ディ・サヴォイア(Giovannna Elisabetta Antonia Romana Maria di Savoia, 1907年11月13日 - 2000年2月26日)は、ブルガリア国王ボリス3世の王妃。ブルガリア語名ではイオアンナ(またはヨアンナ)・サヴォイスカ(Йоанна Савойска / Ioanna Savoiska)と呼ばれた。

イタリアヴィットーリオ・エマヌエーレ3世と王妃エレナ・デル・モンテネグロの三女として、ローマで生まれた。

1930年10月、アッシジでボリスとカトリック式の結婚式を挙げた。のちソフィア正教会式の結婚式を挙げた。イオアンナは母親からスラブ人の血をひくため、ボリスとの結婚をブルガリア国民は好意的にとらえた。

第二次世界大戦が始まると、ブルガリアは枢軸国側に立って参戦した。イオアンナは私費を投じて子供病院を建設するなど慈善活動に取り組んだ。戦争の間、彼女は、ユダヤ人たちにアルゼンチンへ避難するための通行ビザを発行するよう夫に働きかけた。アドルフ・ヒトラーに危険人物と見なされたボリスは1943年8月にベルリンを訪問し、そこで急病のため49歳の若さで急死した。公的には心身の疲れが高じたためとされたが、ドイツで毒殺されたという噂がたちまち広がった。急遽、イオアンナの長男シメオンが即位し、先王よりもさらにドイツ寄りと見られていたキリル王子(ボリスの弟)が摂政となった。

戦争末期、ブルガリアはソヴィエト連邦の侵攻を受けた。キリル王子は人民法廷ですぐに処刑された。1946年までイオアンナと子供たちはブルガリアに残っていたが、新しく成立した共産主義政権により48時間以内に出国するよう命じられ、エジプトへ亡命した(故国イタリアでも王政が倒れ、サヴォイア王家の居住と入国が禁止されたため)。のち亡命先をエストリルポルトガル)に移し、1993年にボリスの墓を詣でた以外にブルガリアへ戻ることなく、余生を送った。 カテゴリ: サヴォイア家 | ブルガリアの后妃 | 1907年生 | 2000年没

更新日時:2008年8月4日(月)12:33
取得日時:2008/08/31 00:53


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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