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元ペルー大統領 アルベルト・フジモリ
生年月日1938年7月28日(70歳)
出生地 ペルー リマ
出身校ラ・モリナ国立農業大学院農業工学専攻卒業
学位・資格
前職ペルー大統領
所属委員会
内閣役職
世襲無
選出選挙区
当選回数
所属党派国民新党
党役職参議院比例区東京都第十支部長
会館部屋番号
⇒fujimorialberto.com Alberto Fujimori
アルベルト・ケンヤ・フジモリ/アルベルト・ケンヤ・フヒモリ(Alberto Ken'ya Fujimori 、旧日本名:藤森 謙也〔ふじもり けんや〕、現日本名:片岡 謙也〔かたおか けんや〕、1938年7月28日 - )は、ペルーの元大統領(在職:1990年7月28日 - 2000年11月17日)。ペルーの公用語であるスペイン語では “j ”〔ホタ〕は日本語の「ハ行」の発音に近く[1]、ペルーを含むスペイン語圏では「フヒモリ」と呼ばれる(アクセントは“モ”)。
目次
1 来歴
2 大統領職(1990年 - 1992年)
3 1992年の自己クーデター
4 大統領職(1992年 - 2000年)
5 日本への亡命、そして突然の離日
6 日本政界への意欲
7 送還と逮捕
8 人物
9 関連人物
10 脚註
11 外部リンク
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1938年ペルーの首都リマのミラフロレス区生まれ[2]。両親は日本の熊本県飽託郡河内村(現・熊本市河内町)出身であり、ペルーに1934年に移住した移民である。彼が誕生すると両親はリマの日本大使館に出生届を提出して日本国籍留保の意志を表したため、フジモリは日本国籍を保有することになった。彼は成長するとColegio Nuestra Senora de la Merced、La Rectoraで教育を受け、リマのLa gran unidad escolar Alfonso Ugarteを卒業した。その後1957年にはラ・モリーナ国立農科大学の大学院課程に進学し、1961年農業工学専攻をクラス一位の成績で卒業した。翌年同大学で数学の講師、1968年に助教授、1971年に教授に昇進。その間、1964年にはフランスのストラスブール大学に留学、さらにフォード奨学金を得てアメリカ合衆国のウィスコンシン大学ミルウォーキー校大学院に留学。一般数学と物理学の修士号を取得している。その後母校である国立農業大学の理学部長に就任し、1984年には同大学総長に任命された。ペルー大学評議会の議長を二期務めている。1987年から1989年にはTV番組"Concertando"の司会も務め、この番組はペルー国有放送のチャンネルで放映された。
1990年の大統領選挙に新党Cambio 90(カンビオ・ノベンタ、“cambio”は変革の意)を結成して出馬したフジモリは当初ダークホース的存在であったが、対立候補の世界的作家マリオ・バルガス=リョサを破り当選した。