アフガニスタンの歴史では中央アジアに位置するアフガニスタンの歴史を概説する。
目次
1 古代のアフガニスタン
2 クシャーナ朝
3 イスラム教の浸透
4 モンゴルの侵略
5 チムール家の文化的発展
6 ムガール朝の支配
7 ドゥッラーニー朝
8 バーラクザーイー朝
9 ドースト・ムハンマドの台頭
10 第一次アフガン戦争
11 第二次アフガン戦争
12 第三次アフガン戦争と独立
13 ナーディル・ハーン
14 ザーヒル・シャー
15 ソ連軍事介入
16 全土での内戦
17 タリバン政権
18 タリバン崩壊後
19 関連項目
20 参考文献
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アフガニスタンの歴史は伝説によっても紀元前500年以前のことを知ることはできない。古代アフガン人は今日のアフガニスタンにおけるパシュトゥ語圏に居住し、言語分布の記録によるとパシュトゥ語はアフガニスタン北東部のジャラーラーバード北部から南方のカンダハール、カンダハールから西方のファラーおよびセブゼワールにわたる地域で話されていたとされる。この地域はインド、中東、中国、中央アジアの交通路であり、アフガニスタンはイラン、インド、中央アジアの文化から影響を受けることになる。キュロスによってイランのアケメネス朝の支配下にあったころからアフガニスタンの歴史は始まる。ダレイオス1世によって統治が強化されるが、アレクサンドロス大王の東征によりこの支配体制は終わる。またこの東征によってヘレニズム文化が流入した。次いでアレクサンドロス大王が死去するとアフガニスタン東部の領土がセレウコス朝に編入されるが、前305年にインドのマウリヤ朝チャンドラグプタがセレウコス朝からそれを奪う。一方で前250年頃にギリシア人のディオドトスがバクトリアにおいて独立王国を建国し、一世紀にわたって栄えた。
アラビア半島で興ったイスラム教はイランや中央アジアに浸透し、トルコ人とイラン人によるいくつかの地方勢力を生み出し、9世紀から10世紀の間に最後の非イスラム王朝は滅亡した。イランのターヒル朝はバルフやヘラートを領有しており、これは後に土着のイラン系サッファール朝が勢力を引き継ぐ。北部では地方有力者がイラン系のサーマン朝に属してブハーラ、サマルカンド、バルフは発展した。10世紀にサーマン朝のアルプティギーンがガズニーを占領して小国家を建国し、後にカーブルやインダス川にまで勢力を伸ばす。そしてマフムードが997年に王に即位してアフガニスタン全土を支配し、さらにインドの中心まで征服した。このころにガズニーは急速に都市として成長した。しかし1152年にアフガニスタン北西部に位置するゴール朝のアラー・ウッディーンによってガズニー朝は滅亡する。アラー・ウッディーンはこのことから「ジャハーンソズ(世界を焼き払う者)」という異名を持つ。
アラー・ウッディーンの死後にゴール朝は崩壊してアフガニスタンの支配権はアラー・ウッディーン・ムハンマド(ホラズム・シャー)に移る。