アナスタシオ・ソモサ・デバイレ(Anastasio Somoza Debayle、1925年12月5日 - 1980年9月17日)は、ニカラグアの政治家、軍人。ニカラグア大統領(1967年-1972年、1974年-1979年)。独裁者アナスタシオ・ソモサ・ガルシアの次男。「中米のアミン」とまで呼ばれた。
アメリカの陸軍士官校ウェスト・ポイントを卒業後、帰国して国家警備隊に入隊。1955年?1967年まで司令官につき一族の独裁体制を支えた。1967年に兄のルイス・ソモサ・デバイレが亡くなると後任として大統領に就任。兄とは異なり彼は反対派を力ずくで徹底的に弾圧して国際社会から糾弾された。 そのうえ1972年のマナグア大地震で首都マナグアが壊滅状態になった時には、全世界から送られた支援物資や義援金のほとんどを着服した。国中が反発したがソモサは1976年に戒厳令を発令して対抗。それでも収拾が着かず1978年8月にはエデン・パストラ率いるコマンドに国家宮殿を占領されるという失態を犯した。権力にしがみついたソモサは、国家警備隊の力を最大限に活用してエステリ虐殺などニカラグア国民に対する蛮行を続けるが、もはや国民の怒りを収拾することは出来なかった。あまりに酷かった蛮行が国際社会にも伝わると頼みにしていたアメリカ合衆国にもジミー・カーター大統領の「人権外交」の下で見放され、最終的には1979年に、武装蜂起していたサンディニスタ民族解放戦線に追い出され、自家用飛行機でニカラグアの政府財産を抱え、アメリカのマイアミにある別荘に亡命した。
その後、アメリカからもすぐに追い出され、バハマ、グアテマラと亡命先を変えたが、最終的に似たような立場の独裁者、アルフレド・ストロエスネル大統領の特別の「好意と友情」によりパラグアイに移った。しかし、愛人との平和な生活は一年も持たず、1980年9月17日、アスンシオンにてベンツを運転中に、アルゼンチンのゲリラ組織人民革命軍(ERP)により暗殺された。
外部リンク
⇒Foto di Somoza
先代:
Lorenzo Guerrero Gutierrezニカラグア大統領
1967年 - 1972年次代:
Liberal-Conservative Junta
先代:
Liberal-Conservative Juntaニカラグア大統領
1974年 - 1979年次代:
Francisco Urcuyo
カテゴリ: ニカラグアの政治家 | 暗殺された人物 | 1925年生 | 1980年没
更新日時:2008年5月22日(木)03:34
取得日時:2008/11/23 09:50