アナスタシオ・ソモサ・ガルシア(Anastasio Somoza Garcia, 1896年2月1日 - 1956年9月29日)は、ニカラグアの政治家、大統領(在職1937年 - 1947年、1951年 - 1956年)。公式にはの第34代および第39代大統領だったが、1956年から暗殺されるまで独裁者として国を支配した。ニックネームはタッチョ。
ニカラグアのサンマルコス生まれ。父親は、保守党の国会議員で中規模のコーヒー園主だった。10代の時、アメリカ合衆国のフィラデルフィアの親類の元で、ピアース経営大学院に通学する。フィラデルフィアでの生活の間に将来の妻となるサルバドーラ・デバイレ・サカサ(ニカラグアの富裕層の一員)と出会う。
ニカラグアに帰国後、1926年に自由党員になり、時の保守党のディアス政権を武力で倒した功績で将軍の肩書きを授与された。モンカーダ大統領時代には外務次官の要職にもつき卓越した英語能力を遺憾なく発揮した。ニカラグア民族主権防衛軍とアメリカ海兵隊との間のサンディーノ戦争が終わると、1933年、叔父にあたる自由党のサカサが大統領に就任。ソモサは戦争中にアメリカ海兵隊によって育てられ、サンディーノ軍と戦った国家警備隊の長官に指名される。ソモサはモンカーダの友人でアメリカの支持も獲得していた。
1934年ソモサはアメリカの内諾をえて、アウグスト・セサル・サンディーノ暗殺を決断し実行する。国家警備隊は全国でサンディーノ支持者狩りを開始し300名が虐殺された。サカサはソモサを強く非難するが,それ以上の対処は出来ず、ソモサは国家警備隊司令官に任命された。ファシスト団体「青シャツ団」はソモサのサンディーノ暗殺を賛美しながら各地で示威行動した。ソモサはこれを利用し戒厳令を公布してサンディーノの残党を妻子に至るまでつぎつぎと虐殺。これを批判するジャーナリストも誘拐、暗殺した。
こうしてソモサは国家警備隊の実力を背景に、半ば傀儡となっていたサカサを大統領から引きずり下ろし、1936年に自由党(PLN)から大統領選に出馬して圧勝(投票結果は10万対108票)する。翌1937年に自ら大統領に就任した。
1941年に真珠湾攻撃が起こるとアメリカは第二次世界大戦に参戦。ソモサはこれに続き,ただちに枢軸国に対し宣戦布告してアメリカはニカラグアに100万ドル相当の軍事援助を与える.ニカラグアは特需景気に沸く一方,米国への経済的従属を深める.政府はイタリア人、ドイツ人資産を没収し,ソモサ一族に「売却」する.ソモサ自身がニカラグア第一のコーヒー生産者となる(終戦までに51の牧場と46のコーヒー園など1億2千万ドルの資産を獲得)。しかし、1944年、戦争によるインフレーションはソモサ一族を除く国民生活に深刻な打撃を与えた。
1950年、ソモサが,国会の選出を経て二度目の大統領に就任する。しかし、1956年にレオンの「労働者の家」で開かれたPLNの選挙キャンペーン集会で,ダンス中に暗殺のために潜入した27才の詩人リゴベルト・ロペスに4発の銃弾を撃ちこまれた。リゴベルトはその場で射殺されたもののソモサはアメリカ軍のヘリで、パナマ運河地帯のゴーガス病院に運ばれ、アイゼンハワーの差し回しの医師団により治療を受けるも死亡した。
関連項目
コントラ
ソモサ
フランクリン・ルーズベルト - ルーズベルトはソモサを「あの男はろくでなしだが、われわれの側のろくでなしだ(Somoza is son of a bitch!But,Our son of a bitch.」と表現。
外部リンク
⇒SOMOZA(「サンディーノ万歳!」内 スペイン語 執筆中との事)
先代:
カルロス・ヤルキンニカラグア大統領
1937 - 1947次代:
レオナルド・アルゲロ・バレート
先代:
ヴィクトル・レイエスニカラグア大統領
1950 - 1956次代:
ルイス・ソモサ・デバイレ
などして下さる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
カテゴリ: ニカラグアの政治家 | 暗殺された人物 | 1896年生 | 1956年没 | 政治家関連のスタブ項目
更新日時:2008年7月26日(土)14:52
取得日時:2008/11/05 23:29