アテネ(ギリシャ語:Αθ?να, Athena;雅典)は、ギリシャ共和国の首都。古名はアテナイといい、古代ギリシア時代に強力な都市国家として栄えたことで広く知られる。英名Athens。中国語表記では「雅典」。(日本語の漢字表記も同じ。)
ギリシャの首都であり、同国の政治・経済の中心地である。また、ギリシャ正教会の首長であるアテネ大主教が座すため、精神的な中心地でもある(ギリシャ正教会は正教会に属し、クレタ島を除くギリシャ一国を管轄する。)。正教会の定めるアテネの守護聖人は、ディオニシオス・オ・アレオパギティス、イェロテオス、フィロテア。
目次
1 歴史
1.1 年表
2 地理
3 行政
4 経済
5 観光
6 交通
6.1 市内
6.2 都市間
7 教育
8 スポーツ
8.1 サッカー
9 姉妹都市
10 関連項目
11 外部リンク
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歴史アテネの守護神アテーナー
(古代のアテネについては、アテナイを参照のこと。)
アテネは古名をアテナイという。古くから栄えた商業都市であり、古代ギリシア時代には都市国家(ポリス)を形成した。紀元前6世紀頃のアテナイは、民主政の下で発展、アッティカ地方全域を支配し、スパルタと並ぶ強国であった。ペルシア戦争では、ギリシアの都市国家連合の雄としてペルシア帝国軍の撃退に大きく貢献し、戦後結成されたデロス同盟の盟主となって、古代ギリシアの中心都市として学芸と文化の都として栄えた。しかし、ペロポネソス戦争でスパルタに敗れて以降、国力は次第に衰退し、紀元前4世紀にマケドニア王国に屈服して政治的な独立を失った。
その後、古代ローマの属領となり、ギリシア世界の学芸の都として栄えた。ローマ帝国以降は政治的・文化的な重要性は失われ、東ローマ帝国やオスマン帝国の時代を通じて、寒村といってよい状態であった。
18世紀後半に入ると、ヨーロッパでのロマン主義の盛り上がりに」伴って、古代ギリシア文明の中心地として注目を浴びるようになった。これに刺激されておこったギリシャ人のナショナリズムでは、精神的な中心地として地位を高めた。1830年にオスマン帝国から独立したギリシャ王国は、ギリシャ・ナショナリズムの古代ギリシャ復興の風潮に合わせて、1834年にアテネを首都に定めた。以後、アテネはギリシャ国家の中心として次第に発展していった。
ギリシャ王国の初代国王オソン1世が連れてきたドイツ出身の官僚たちは、西欧風の都市計画を導入し、アテネは近代国家ギリシャの首都に相応しい都市として建設されていった。現在の町並みは、この時代に建設された市街や建築物が原型となっている。また、古代遺跡の保護活動も進められ、アクロポリスの丘が町のシンボルとして整備された。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツに占領された。戦後は急速に復興し、ギリシャの経済成長の中心として人口が爆発的に増加、大都市となった。
年表
紀元前8世紀頃 - エーゲ文明消滅後、古代ギリシア人の一派イオニア人が定住し、ポリス(都市国家)が形成される。
紀元前7世紀頃 - 民主政が成立。
紀元前561年 - ペイシストラトスが僭主となる。
紀元前510年 - ペイシストラトスの子、僭主ヒッピアスが追放される。
紀元前490年 - マラトンの戦いでアテナイを主力とするギリシア重装歩兵軍団がペルシア軍を破る。